- [ 其之壱:快楽編 ]
私は八人家族の長女で御座います。
片岸 塁という名を今から二十年以上も前に授かり、同時に生をも授かりました。
御父様と御母様、兄が壱人と、弟が壱人、妹が参人居ります。其れが家族。
此れだけの人数が居れば普通、家で壱人きりになる事は滅多に無いと御思いでしょう。
しかし此処は違いました。私はしょっちゅう壱人だったのです。
寧ろ家の者全員が揃う事など、滅多に無いのでした。
私にはかえって其れが好都合でありました。家の者と接するのが、実に苦手なのです。
壱人で居る方が気楽。何せ壱人で居れば誰も私を咎めたりしないのですから。
私は周囲から異常だと言われて育ちました。
意見が噛み合わなければ相手を異常扱い、其れが人間です。
真実、の基準など無いのです。正しい、の基準など無いのです。
私は自虐行為を繰り返しました。手首を切り、腕を切り、己を縛る。
私は入眠剤を乱用致しました。潰して吸い、飲み物に混ぜ、飲み込む。
私は他人に微笑みます。笑わせます、優しく宥めます、突き放します。
そんな私でした。今では成人して、もう二年が立ちます。
仕事はありません。フリイタアをやってます。
定職に就かなくても生活は出来ます。しかし私は仕事を探し、そして真面目に生きています。
自分は、幸せだと思って居ります。過去の地獄の日々を思えば今が幸福なのです。
私は今、死のうなどとは思いません。時々思っても、其れは冗談です。
七年前。私は恐らく異常者でした。
自分の弱さが原因なのですが、他人に一切逆らえません。
特に両親には、身が裂けようとも逆らえませんでした。壊れた様に従い続けたのです。
まさに親の言葉を借りれば、親が黒い物を白いと言えば、其れは白い。其の逆も然り。
親の言う事は絶対でした。壱寸の狂いも間違いもありません。
其の代り私には狂いだらけでした。間違いだらけなのです。
親が白いと言う物が黒に見え、親が美味しいという物を美味しいと思えず。
意見も考えも生き方も全て、何をとっても… 私は間違いだらけなのでした。
生きるのも困難に思える程の、間違いだらけの人間です。
弐番目の妹と弟も私と同じ考えである事が多く“間違った人間” でした。
しかし其の二人は私と違い、よく両親に反発していました。
意見をぶつけ合って怒鳴りあい、殴り合って睨み合い、とても眩しい妹と弟でした。
後に二人は家を出て、個人で暮す様になりました。私は弐人が羨ましかった。
二人が居なくなったのは、私が弐度目の「プッツン」を起こした弐年か参年後の話です。
両親が「あいつ等は糞だ、キチガイだ。」とおっしゃったので、
私達残りの兄弟は頷きました。内心、兄弟全員が首を横に振りたいのを、
きっと堪えていたのだと思います。少なくとも、私はそうでした。
「アタシ等は、どうすればいんだろう。」
残った妹の内の壱人がそう言いました。
「今まで通りで言いと思います。」
私は正直に、言葉を紡げませんでした。
ある日突然、小学校中学年の頃の事。
いつもの様に両親に従うべきなのに、其の日は何かを誤ったのです。
私は頭が悪いので同じ事を繰り返し、誤ります。そして呆れられます。
親はいつもの様に私を殴りました。私はいつもの様に只泣き叫びます。
親は、いつも殴った相手が泣かないと気がすまない様子でした。
反発して睨み返す者を酷く嫌います。まさに弐番目の妹と、弟の事でした。
両親が去るのを、私は地面に倒れた儘眺めます。地面が紅の色をしていました。
鼻から流れる血が口元迄垂れてきて、其の血は切れた唇の血と混ざります。
其の時の痛みで、私は「プッツン」きたのです。壱度目のプッツン。
ゆっくり立ち上がって、血も拭かず、部屋を閉め切って、
家庭科で使うニッパーを取り出しました。つい最近家庭科の授業で使った物です。
ニッパーの尖った刃は振り下ろされ、私の手の甲に刺さりました。
「痛い」と私は当たり前の感想を述べて、思いっきり刃を抜きます。
もう一度「痛い」と呟き、其れを何度も何度も繰り返しました。
両親から頂いた大切な肉体に己で傷を付けました。
此れが私なりの最大級、両親への反発でした。
其の日の快感と開放感は、今でも忘れていません。
其れからというもの、私は何かがあるとすぐに自虐・自傷行為をしました。
両親から貰った大切な肉体を自ら傷付ける… 一度は罪悪感を感じて辞めたのですが、
耐えられなくなった十五の夏に又、自傷癖が再発したのです。
どの会社の、どの刃がよく切れるのか、またイイカンジなのかをよく知っています。
ペーパー用の刃は痛みが鈍くて刃を出す重みが安さを感じさせ、其れが逆に良く、
工具用の大きなカッターは鋭い切り味で、自傷後、傷跡の熱っぽい感じが堪らなく良く、
小さな100円カッターは人前でも服の袖に隠せばスリルを持って切れると言った利便さを兼ねる。
カッターナイフに限らず良い刃は他にも沢山在りました。私は刃物を沢山集めては、
しんみりと幸せを感じ、悦びの溜息をつきます。他人は其れを不気味がりました。
其れは趣味の様で精神安定行為の様で、兎に角、私の命綱なのです。
当時の私には偏見を気にする程の余裕も無く、人の肌だとは思えぬ位傷を持ちザラザラした
皮膚を人前で隠そうとはしませんでした。周囲は、其れをどう思っていたのでしょう。
今でも私は、傷跡を隠す必要など無かったのだと思っています。
あれが、私なのです。何処も此処も傷だらけで、其之事自体快感だった私。
今、私のフリーター仲間の大半には彼氏が居ます。
たとえば友人が其の彼氏に欝血跡を頂戴したとする、恥ずかしい印鑑だと思います。
しかし友人は其れを私の前で隠したりしません。快感の印として、時には自慢します。
ですから私も、当時、快感の印を隠す必要は無かった筈なのです。
やはり私は間違っているのでしょうか。とんでもなくイケナイ人間なのでしょうか。
日に日に私之快感の作法は悪化しました。
事は十分に進み、もう誰も、止める事は出来ないのです。
始めは手の甲を引っかく程度に切り、そして刺しました。
次に腕を切り、まあるく浮かび上がる血を見て感激しました。
次に腕の腹を切り、表よりも裏の方が血の球体が大きく浮かぶ事に気付きました。
ある日は手首を切り、死のうと思いました。しかし死ねませんでした。
もう「切る」事が日常茶飯事になって、傷が消えると不安になり、
毎日毎日、体の何処かを切りました。止めたくても止められず、
そんな自分が情けなく腹立たしく、嫌悪の対称になるばかりでした。
誰にも言えず言いたくなくて、只怖くて、死にたい思いだけが募りました。
両親は気付いていました。私の腕や手首を見て泣きました。
けれども私には、どうする事もできません。只… 両親を憎むのでした。
両親の暴力は日に日に悪化し、先程も述べましたが私の自傷行為も日に日に悪化し、
両親と私、互いに自分か相手のどちらかが死ねば良いのにとさえ、考えました。
酒を飲んで人に当たる両親の背中を見て、私は育ちました。
可哀相な人です、発散の対象が全くと足りない程、辛いのかもしれません。
だから子である私達にアたるのです。其れを受け止めてあげられぬ私が、全て悪いんです。
口を聞くのが怖いので、謝る事も出来ずに、唯々、誤解を招き続けました。
私はこんな日々を終らせよう、と、あくまでも前向きに考えて、…死を決意しました。
学校も随分疎かにしていましたので、多分誰も哀しみません。
世に云う「じさつ」決行前日は、ありったっけの御金で遊び、旅立つ準備をしました。
人生において弐度目の「プッツン」爆発の意識。
弐之腕をヘアゴムなどで縛りつけ、手首を湯に付けて、
そしてから刺す様に手首を切ると、血が酷く吹き上がりました。鮮やか也。真赤な血液…
快感と、そしてあまりの痛みに、私は直ぐ意識を失いました。
怖いとは、ちっとも思いませんでした。
目が覚めたのは何とも可笑しな話で、数分後。
何度死に損なえば自分は気がすむのだろうと溜息が出ました。
流血が酷かったので、此の儘放っておけばもう一度「チャンス」が来ると思って、
私は再び目を閉じたのでした、しかし今度目を開けたのは、ほんの数秒後。
「塁ちゃん!? ちょっと!塁ってば!る、い… ちゃん…!」
母親でした。母は悲鳴を上げ、泣きながら私の身体を揺さ振ります。
意識が薄れている様に見せかける為、私は虚ろな目をします。
内心では猿芝居を何時見抜かるのだろう、と怯えていました。発狂しそうでした。
御願いぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないで…
猿芝居さえ続けられなくなった私は、ぎゅっと目を瞑って涙を零します。
瞼の内側に母の影が未だ見えている。「早く死にたい」と悲鳴をあげた私は、
酷く流血する傷口を其之場で掻き毟りました。声に声を上げて、
ぶたないで!と心の底から叫びました。すると母は泣き顔の儘、私を抱き締めたのです。
私は其の瞬間、完全に意識を失いました。誰かが救急車を呼んだそうです。
次に気が付いた時、私はベッドの上に居ました。 …ココハドコ…?
落ち着いて天井を見上げると、何だかとても、気持ちがスッキリとしたのです。
周りは迷惑した事でしょうが、私にはそんな事関係ありませんでした。
⇒鬱日記。<其之弐:病床編>