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 [ 其之肆:商売編 ]


 真赤な口紅、真赤な爪色、真赤なミニスカアト、真赤なハイヒイル。真黒のコオト。
此れ等が、此之日の私の容姿に繋がる物品の幾つかでした。
夕方の電車の中、今迄に無い派手な格好をして居るます。
こんな格好で電車に乗れば、其れはもう周りの目は確かに私を見るのでした。
其れが、私にとっては好都合。女である私、己を売って 生きる事になりました。
私には御金が必要だったのです。唯、最低限壱人で生きていくだけの御金が。

 そう、私は家を出ました。此の事について何もおかしな点は見当たらないと思います。
もう二年も前に成人した立派な大人の女なのですから、自立生活位、致します。
家を出るのにさえ両親は反対し、私は始めて両親へ歯向いました。
口論、其の果てで父は私へと刃物を振り上げました。私に怪我はありません。
「御前を殺して俺も死ぬ。」 そう云った父は刃物を落とし、私を抱きしめました。
私は獣の様な呻き声を上げるばかりで、父の言葉に対して何も思いませんでした。
「では、御父様と御母様を御殺めしてから、私は壱人で暮らします。」
落ち着きを取り戻した数時間後に両親へと向けた言葉もそんな言葉でした。
両親はもう、何も言いませんでした。ですから私も御殺する事は御座いません。
両親への恩は壱つも御座いません。後悔と憎しみばかりが込上げてきます。
親不孝、そう、私はとても親不孝で生きる価値の無い下郎な生き物なのだと自覚して居ます。
しかし、そんな人間へと仕立て上げたのは両親や家族でした。
…私は半ば強引に、壱人暮らしを始める事にしたのです。荷物の整理をしていると、
「塁、考え直す方が賢いと思う。」
兄が、私の部屋に入ってきました。両親が驚く程忠実で真面目な兄ですので、
呼び掛けも無く部屋に入って来る等というのは恐らく此之時が始めてでした。
私は無言で荷物を纏めます。少ない荷物は簡単に纏り、何だか虚しくも思えました。
「おい、聞いているのか。」
「聞いていません。」
「あぁ、そうか。」
そう云ったきり。兄は無言になって、私の鞄を虚ろに眺めていらっしゃる。
「行って来ますね?」
私は兄を気遣って其の場、持てるだけの笑みを向けました。
兄は溜息まじりの呼吸を落としながら薄く微笑んで、
「行って来ます、は… おかしいだろう。もう帰らないつもりなんだろう?」
「そうですね。でも、さようならと言うのも何だか違和感がありませんか?」
大きなショルダアバックは見た目よりも随分と軽く、私の肩に微妙な重みを掛けます。
過去に両親と意見をぶつけ合い、睨み合って居た弟と妹は今、家に居ません。
<快感編>でも述べましたが弐人は今個人で生活をして居るのです。
当時、反発のできる弟と妹が眩しく見えていました。羨ましく思って居た私です。
今度は私が個人の暮らしを始めるのです。あくまでも晴れ晴れしい気持ちでした。
部屋を出る前にもう一度だけ振り返り、兄の表情を伺うと、兄も笑っていました。
「さようなら、塁。 御前もあの弟、妹と同じなんだな。」
「えぇ。私はずっとあの二人が羨ましくて―」
「あいつ等は糞だ。キチガイだ。」
「………………、」
兄の一言で、私が長年抱えてきた何かが音を立てて崩れてゆきました。
兄は私が眩しいと思っていた弟と妹を、あの時心から貶して頷いたというのです。
あの時、とは弟と妹が両親に反発して家を出た時の事。
私は遣る瀬無い気持ちで家を出て、二度と帰りはしないと心から涙ぐみました。
「あいつ等は糞だ。キチガイだ。」


 家を出て数ヶ月経った今でも、其の言葉ばかりが頭を駆け巡るのです。
ゆっくりと揺れる電車、私は行き先も無くぼんやりと景色を目で追います。
スウツ姿で忙しそうに電車を乗り降りする同年代の男等が輝かしく見えます。
此の侭電車に揺られて眠ってしまおうか、そう思った矢先に、
「おねえちゃん、オジさんが御茶でも奢ったげよう。」
40代後半位の男性に声を掛けられました。此の時だけ、私は酷く微笑むのでした。
思いっきり微笑むのとは又違ういます。酷く、微笑むのです。
「御茶でも奢るよ。」 だなんて。哀しい話ですが、言わせた者勝ちでした。
私は知らぬ人と御茶をしたいが為に毎日電車に乗るのではありません。
仕事も無く一人きりで毎日、物の無い部屋に住んで居ります。寂しくはありません。
私には…可笑しい程…物欲が無いのでした。こうして知らぬ男と食事をし、
相手を其の気にさせては心の通じない肉体関係を起こし、己で商売をするのです。
此之臨時的な高収入の商売を壱週間の内できる限り繰り返し、御金を手にして居ました。
私の相手をしてくださるのは大抵、兄より年上で父親よりも少し若い年齢の男でした。
目を閉じても開けても、相手への希望は有りません。どんな男でも構わないのです。
時々は相手が人間だという事を忘れている事もあり、ダラシナク商売を続けました。
しかし、そんな日でさえ商売の途中にぼんやりと考える事がありました。
「此の男達は本当に家庭を持って居るのだろうか。」 などと。
家に帰ると子供を撫でるのだろうか、妻の作った食事を食べるのだろうか。
商売に引っかかった瞬間も、商売の途中も、商売を終えて別れる時も、
どの男からだって、家庭の中心である父親的表情が連想できないのです。
もし、彼等が父親的な微笑みを見せたとしたなら私はこんな商売などできないでしょう。
「塁ちゃんは何時もこういう事してるの? ねぇ、又会えるかな。」 男が云うと、
「如何でしょう。」 私は何時もこう返して微笑むのでした。
物欲が無く、食は基本の食事のみ、私のアパアトにはテレビも電話も御座いません。
借りているアパアトは大した値段で無く、水道やガス代も大した物ではありませんでした。
なのに、私は、私は…、如何して必要以上の商売を繰り返すのでしょうか。
商売を終えてアパアトに帰ると、長時間シャワーを浴びて時間を消費します。
長い髪の水分を乾かす事も無く、偉そうな御札の束を積み上げます。
使う事も無い沢山の札は、何時も適当に部屋の至る所に散らばっていました。
そして時々は、積み上げられて理由も無く 私に見つめられるのです。
私は随分と長い間、積み上げた御札の束を見つめて見つめて見つめて……
最後には又随分と長い間、次の日の夕方迄眠りこけてしまうのでした。


 同じ様な毎日を過して居た或る日、私は又何時もの様に派手な格好で電車に乗っています。
乗客の視線は何時も通りに私を眺めるのでした。そして、商売が開始されます。
「映画でも行かない?」
と、人の声。電車の心地で眠りかけていた私が寝ぼけた儘で顔を上げる……
すると、相手は女性でした。初めての事に素早く対応ができずに私はうろたえました。
「よく此の時間帯に此の席に座ってるよね、一度話してみたくてさ。」
女性は私より少し年上そうで、茶色い髪に薄手のワンピイスを着ていました。
知らぬ小父様への対応は早い癖に、今回は随分と戸惑ってから、
「えぇ、私、電車が好きで……」
ささやかな嘘を。私は、如何すれば良いのか分からず、取り合えず立ち上がりました。
女性が電車のドアを潜って駅のホームへと降りましたので、私も後に続きます。
電車は大きな音を立てて直ぐに去ってしまい、私はとっさの行動で見知らぬ女性と二人きり。
「あら、背低いんだね。何時も座ってるから分からなかったわ。」
其の女性はとても優しく微笑みます。私は何だか胸が刺される様な思いがしました。
「は、始めまして。…あの、申し訳無いのですが、私の方は貴女とは本当に初対面で……」
私が言葉に詰まりながら話すと、女性はまるで全て悟ったかの様に再び微笑みます。
顔つきや服装での勝手な判断だけれども、そんな丁寧な話し方する子だとは思わなかった、
そう云ってから、会話が途切れない様に次から次へと自然に何かを話すのでした。
何時の間にか私達は歩き始め、私があまり話をしなくても気まずい雰囲気にならぬ様に、
其の女性、(歩き話す内に「御姉さん」と呼ぶ様になりました。)が大変上手に美しい迄に、
対して面白く無い話をしてでも、綺麗に間を繋いで下さるのでした。
流行の映画を観てから、小汚いファーストフード店で少しの食事をして御話をし、
女子高生達が好む 自分達の写真がシールになるという機会で写真を撮り、
暗い夜道を二人で歩きました。延々とつまらない話をして、何故か笑って居ました。
「塁ちゃんは黒くてエロイ下着着けて真赤な唇と大きな目ェ使って人を睨み付ける様な…
そんなイメヱジがあったんだ。何だかSっぽいなーって、思ってた。ふっふふ。」
「厭ですわ、私だって好きでこんな格好をして居る訳じゃないんですよ。」
「ああ、たまにオヤジ連れて駅で降りてるよね。其の為ー? 売りでもやってんの?」
「……いえ、………あの………」
「御免御免、冗談だよ。でもアタシもねぇ、昔そーゆー事してたよ。」
「そう…なんですか…」
「そうよ? だから見てたら分かるんだ。売りやってる子の目って。」
「……私は…そういう目をしているのですか?」
「さぁなぁ。」
私は御姉さんの表情を伺う事ができずに、地面を見ながら苦笑しました。
「でもね、云っとくけど―」
「はい。」
「塁ちゃんにはそういう格好、似合わないよ。」
御姉さんの低い声がそう云って、私は途端に自らの存在を恥ずかしく思いました。
此れが初対面の人間からの云われ様なのだろうか、そんな事を思いながらも、
実際に声を出して返せる言葉は、壱つも見つかりませんでした。
話題は上手に変わって行き、御互いに帰るべき場所へ向かう為、駅迄歩きました。
初対面の人間と一緒に居るというのに、何故か私の心の緊張はもう何処にも在りません。
時々、髪を掻き上げる御姉さんの耳に刺さっている大きなピアスにドキっとするだけでした。
ネオンに照らされた汚らしいコンクリイトの地面を歩きながら、足元の小石を蹴飛ばし、
「都会に不似合いな此之石は一体、何処からやって来たのでしょうか。」
そう呟きました。御姉さんは其れが聞き取れなかった様子で、
「ん?」 と私の顔を覗き込みます。私は 「何でもありません。」 と微笑みました。
駅に着くとメヱルアドレスを交換し、御互いの家に近い駅へと向う電車に乗車します。
別れ際には複雑な気持ちと、寂しさと、言葉にできない妙な感情が込上げました。
御姉さんは、「またね」 とおっしゃいました。そう、「またね」 と。

 アパアトに戻ると私は何時も通りシャワーを浴びて、兄の言葉を思い出して居ました。
「あいつらは糞だ、キチガイだ。」
そして何故か、以前同級生から言われた言葉が水滴と一緒に滴りました。
「片岸は自閉症なんじゃないか?」
他にも色々な言葉が私に降りかかります。毎日毎日、シャワーの水勢の様に、
沢山の言葉が私に降り注ぎます。哀しい様で、痛い様で、様々な言葉が降ります。
そして、今日降り注ぐ言葉の中には、新しい物が沢山あります。
「あら、背低いんだね。」 「Sっぽいなーって思ってた」 「売りでもやってんの?」
 

「またね。」

 其れは何所か、とても優しい言葉でした。
タオルを巻いた儘の姿で浴室から出ると、ケヱタイには新着のメヱルが一件。
『塁ちゃん、良かったら又遊ぼうよ。』
ベッドに寝転がりながらメヱルの返信を致し、
『是非、御姉さん。私は何時でも暇ですので。』
蒸し暑い部屋の中、直ぐに眠りにつきました。


⇒鬱日記。<其之伍:友人編>


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