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小屋に戻るとバイオレットたちがいた。 (帰ってたのか) どこかほっとして、俺はひよこを下ろした。 「アッシュ──あれ、どうしたのその顔」 サックスが目敏く声をかける。 「あの高貴な野蛮人にやられた」 俺は頬をさすりながら憎々しげに答えた。 「冷やしたほうがいいでしょう」 そういってプラチナがザックから冷却スプレーを取り出す。礼をいっ て、俺は顔を突き出し目を瞑った。ひやっとした感触が頬に当たり、 痛みと腫れが引いていくのが判った。 「勝手に出歩くからだよ」 バイオレットが床に広げたシートに何やら書き込みながら冷たく言 う。 「なんでだよ。ちゃんと断ったぜ」 「あんた、自分の立場が判ってないね」 バイオレットは顔をあげると、水のような淡い色合いの瞳を俺の顔 に据え、言葉を継ぐ。 「ここ数年、シャイラ族は子供が一人も生まれていないんだよ。余所 者とはいえ、"妊夫"は貴重なんだ。他の村の男にさらわれる恐れだ ってあるんだからね」 「え……けど……」 俺はすでにレンの子を身ごもっているんだから──という言葉をさ すがに口にはできなかった。 クギを刺す意味でバイオレットは、自分はもう女だから後はプラチ ナみたいに間性になるだけで妊娠できない。サックスは妊娠するに は若すぎるといって予防線を張っておいたのだ。それと同じで俺は すでに「お手つき」なんだから、今更他の男に入り込む余地なんてな いはずだ。 バイオレットは聞き分けのない子供に言い聞かせるように、向き直 った。 「いいかい。ここでは子供の父親は『母親と結婚している男』なんだ よ。生物学的な親子関係より制度的な親子関係が優先されるんだ。 まして皆子供ができなくて困ってるんだからね。レンが村長の息子だ から、他の男たちは遠慮しているけど、そうじゃなかったらあんた今 頃とんでもないことになってるんだよ」 「とんでもないこと?」 「あんたを取り合って村中の男たちが殺し合いするかもしれないん だ」 「まさか……」 「あんたとレンはまだ正式に結婚してないし、道すがら色々レンから 話を聞いたけど、決して誇張でもなんでもないんだ。少しは自重し な」 「自重しなって──」 俺はむっとした。 そもそもこういう事態を招いたのはバイオレットが大嘘ぶっこいた せいだ。それに正式に結婚だとかなんとか、冗談にしても気色悪い ことを言うのはやめてほしい。 バイオレットは人の悪い笑みを浮かべた。 「レンはあんたに正式にプロポーズするつもりなんだよ」 俺は絶句した。 「あたしはあんたの親族代表として今日正式に打診されたからね」 俺はぱくぱく口を動かした。あまりのことに言葉が出てこない。 「あんたを嫁にするには、第一夫人と第二夫人の許可がいるから少 し時間がかかったと言ってたけど、あたしに話したということは許可 がでたってことだよ」 「ちょっと待て。第一夫人と第二夫人ってなんだ?」 聞きとがめて俺は尋ねた。 「ここでは長や有力者は複数の妻を持つんだよ。たいていは交差イ トコのひとりが正式な許嫁で彼女に妹がいればその子が第二夫人 になるってわけさ」 「そんな……不道徳な」 俺はわけもなくうろたえていた。あのレンに妻がいたということに驚 いたのか、一夫多妻制がショックなのか、わけのわからないうちに当 事者になりそうなことに焦っているのか、自分でもよくわからなかっ た。 そんな俺をバイオレットが睨む。 「何寝ぼけたこといってんだい。連邦のお偉いさんだって街のオヤジ だって似たようなことしてるじゃないか」 「そ、それはそうだけど……」 それがここの慣習だというなら、余所者である俺にとやかくいう権 利はないが……それと、レンの「第三夫人」になるのとは話が別だ。 「なんて答えたんだ?」 俺は恐る恐る尋ねた。こういう社会では本人の意向より親や親族 の決定が大きいはずだ。 「本人に直接訊いてくれって」 俺はほっとした。が── 「でも、ここじゃ強引にキスするのは、あなたを愛しています、結婚し てくださいっていう意思表示になるんだってね」 サックスがのんびりと爆弾発言をする。 「なんだと……?」 俺は硬直した。 救いを求めるようにプラチナに視線を向けると、 「らしいですね」 あっりと肯定してくれる。 「とくに彼のような社会的に地位が高いものは女性から強引に迫ら れたら、妻に娶る義務があるそうなんです。 まあ、無制限にそんなことになると混乱しますから、第一夫人たち の意思が反映されるという形で歯止めとなっているようですが」 俺は呆然としていた。 同時に、森の中で最初に会ったとき──俺がキスしてバイオレット が大嘘ついたときだ──それで、レンはあんなに不機嫌で複雑な表 情をしていたのかとようやく思い当たった。 (じゃあ、俺はレンに愛していますと公言したも同然なのか……) そうして強引にキスしてきた相手が男で余所者で、おまけに子供を 身ごもったなどと言われた日には、レンじゃなくてもどうしていいかわ からないだろう。 俺は拳を握りしめ、バイオレットに尋ねた。 「知ってたのか?」 「ここへ来る前に『ユニバーサル・エスノロジー』に載ってた文献読ん だもん」 しれっと答える。 「し……知ってて俺にあんなことさせたのか!?」 「知ってたから、あんたにさせたんじゃない」 何を今更、というふうに応える。 「お、おお──」 俺は頭を掻きむしった。ろくでなしの父親のせいで苦労する母親を 見てきたため、女子供には何があっても優しくしなければならないと 思ってきた。 だけど、だけど── 「バイオレット……」 俺はゆらりと立ち上がった。 「なんだい」 「この……根性悪のドケチ女! 吊り眼!」 最後の理性で手を出すのを堪えた俺の口をついて出たのは小学 生並の悪口だった。 「なんだってぇ──!?」 バイオレットは眦をつり上げ立ち上がると、速射法のようにまくし立 てた。 「このスカポンタン!! おかげで生贄から客人に昇格したんだからい いじゃないかっ。 だいたい、食費ロハの条件でやすやすと見知らぬ男にキスしたの は誰だい! あんた、ほんとは男が好きなんじゃないのかい!?」 事実に混じって、聞き捨てならないことを口にする。 「なんだと、てめー、ふざけたことぬかすんじゃねーぞ!」 「文句あンのかい!? だいたいその年でロマンスグレーとは何ごとだ い。この若年寄が!」 そういって俺の髪をひっ掴む。 「いててて……放せっ! 何が若年寄だ。この髪は生まれつきなん だ。仕方ないだろ!」 うぴーとひよこが困惑の声をあげる。 プラチナとサックスが呆れ顔で取り巻いていたが、慌てて止めには いる。 「バイオレット──」 「社長、落ち着いて!」 「うるさいっ」 宥めにかかるサックスを一蹴し、 「だいたい雇い主に向かってその態度はなんなんだい!」 バイオレットの腕が俺の頭をヘッドロックの状態に抱え込み、締め つける。 俺は身をもがき、細腕とは言いがたい筋肉質の腕を振りほどい た。 息と、髪が乱れた。 こんなときでも相手が女だからと手を挙げない自分を褒めてやりた いような、情けないような複雑な心境だった。もっとも、実際ガチでや りあったら……勝てる気はしないが。 「…尊敬に値しない人間には、それなりの対応しかしない主義なんで ね」 負け惜しみでなく言った。 「なんだってぇ、この若年寄!」 バイオレットは形相を変え、再び俺の髪を掴む。 「てーっ──放せこのっ!」 その時、何者かが小屋の扉をノックした。 はっとして振り向くと、扉を開けてレンが立っていた。 髪をつかみ合っている俺とバイオレットを見て一瞬驚いた顔をした が、すぐに威風堂々とした様子で夕べの挨拶の身振りをした。 バイオレットはフンと顔を背けると俺から離れた。気取った様子で 指先で髪を整え、ヘッドセットをつけて応対する。 俺はそれを見守りながら、気持ちを落ち着けるように髪や衣服の 乱れを直した。 一言二言やりとりをすると、バイオレットはヘッドセットをはずし、俺 に差し出した。 「あんたに話があるって」 意味ありげに口許を歪める。 「あたしたちは席をはずすわ」 「え──」 弾かれるようにレンを見、俺は焦った。例の話だ。 「待て、行くな! 行かないでくれ──頼む」 俺はバイオレットの腕にすがり恥も外聞もなく懇願した。 |