オドネルの弓(2/3)


「ガルー。戦になるって本当なの?」
 馬を下りると、蹄の音を聞きつけて外にとび出してきたエィンが、お かえりなさい、の一言もそこそこに心配そうに尋ねる。
「ああ」
 ガルーは短く答えた。
 健康で美しく働き者の妻。言われるまでもなく、自分は果報者だと 思っていた。
 だが、門の外までわざわざエィンが迎えに出てきたのは、なにも友 人に冷やかされるように新婚気分が抜けないからなどではない。
「ライウはキディスを攻めるだろう。エルディシは盟約に従ってキディ スを助ける。それが長の決定だ」
  厩へ馬を引きながら、ガルーは不安な面持ちの妻に先程まで長の 館でなされていた話し合いの結果を伝えた。
  小国とはいえ、キディスは大陸の中央平原に古くから栄えた国だ。 エルディシはその北方にある山麓に住む小部族で、狩猟と傭兵を貸 し出すことで生業を立てていた。
 キディスの現王妃はエルディシの長の娘で、この婚姻に伴い、キデ ィスはエルディシに通商その他の保護を与え、逆にキディスの危機に はエルディシは全部族をもって救援にあたるとの盟約が結ばれてい た。
「ライウの狼王は不死身だという噂よ」
「人には変わりないさ。人ではないと噂がたつのも無理はないが」
 ライウは大陸の東の端にある王国だった。十数年前、現王のザド ラーンが王位につくや、武力でもって次々と周辺の諸国を併合し、一 大帝国をつくるに至ったのだ。その貪欲な征服欲には際限がなく、ラ イウの勢力は西へ西へと拡がり、ついに中原の古都キディスまで呑 み込もうとしていた。
「親兄弟を殺して王位についた男だからな」
 狼王の名はだてではない。その残虐さは類を見ず、実は妖魔の血 を引いている、あるいは魔神に魂を売り不死身となった、とまで言わ れているのだ。
 ガルーはもちろんライウの王にまつわるそんな風聞を信じてはいな かった。そのやり口があまりに常軌を逸しているのでそんな噂がたつ のだろう。それだけ恐れられているということだ。
「皆、行ってしまうのね」
 エィンは呟いた。あなたも行くのね──などと自明のことは口にでき なかったので。ガルーは戦士頭のひとりだった。
「大丈夫。戻ってくるさ」
 気休めに聞こえないようガルーは力強く言った。ライウの軍隊は無 敵と言われている。攻略し、滅ぼした国や都市の数は両手に余る。
  が、
「エルディシの男は手練の兵五人に匹敵するんだ」
 それはエルディシの男の誇りであり、ガルーの自負でもあった。
「ええ──」
 気弱なところを見せてはいけない。男たちの留守を守り、時に剣を 取り敵と戦いもする、自分もエルディシの女なのだから。しかし、
「オドネルの弓があれば、ライウの軍になど負けないでしょうね」
 気がつくと、エィンは、幼いころ炉端で祖母が話してくれた物語を思 い出し、冗談めかして口にしていた。

  ──オドネルは眠れる神。大神と呼ばれる創造神のひとりじゃ……

 繰り返し語られた古の神の物語。
  原初の刻、世界は混沌に満ちていた。そこへ三柱の神々が現れ、 天と地を分かち、世界を創造した。
 神々は太陽と月と星々を空におき、地上には様々な植物と動物た ちを棲まわせた。
 それから神々は自身の姿に似せたものをつくろうと話しあった。一 柱の神は小さき神々を生んだ。もう一方は精霊を。
 残りの一方は土をこね息を吹き込み人間をおつくりになった。それ が眠れる神、オドネルである。
 オドネルは創世が済み、他の大神がいずことも知れぬ処へ去られ た後もこの世界にひとり残られたが、自らのつくりし子ら──人間の 堕落と争いを悲しみ、眠りについた。
 そのとき神はひとつの弓を残した。それがオドネルの弓──魔弓と 呼ばれるものだった。
  オドネルが目覚めるとき、世界は終わる。そのとき神は弓を取り、 あらゆるものを討ち滅ぼす。魔弓はそのために作られたのだと言わ れていた。あるいは世界の救い主たる者を助けるため、また人として の分を超えた望みを抱く者を試すためにと。
 不可能を可能とする魔法の弓──それがあれば、いかにザドラー ンが不死身だろうと、滅ぼすことができるだろう。無敵のライウの軍 団を討ち負かすことができるだろう。
 眠れる神の残した魔弓があると言われる神々の座は、草原を越 え、砂漠を越え、はるか南に行った所にあるという。エィンには想像も つかない場所だった。
「あれはただの伝説だ」
「そうね」
  でも、本当にあればいい──エィンは思った。だが、それを口にだ すことは戦士たる夫の矜持を損ねることになる。
「支度をしなければならない。手伝ってくれ」
「わかったわ」
  ガルーの言葉にエィンは明るく頷き、腕を夫の腰に回した。やがて 迎える夫の不在を、未来の不安を、追い払うように。


「右方向が薄くなっているぞ。回り込め!」
 ガルーは馬を操り、戦陣の真っ只中を駆け抜けた。数騎が後に続 いた。
 長槍ですれ違い様に敵の胸を突く。
  エルディシの男たちは騎馬での戦いを得意としていた。
 戦況は最初からキディスに不利だったが、ガルーは戦場でライウの 兵を蹴散らし続けた。
 しかし、圧倒的な兵力の差が次第にキディスの敗色を濃くしていく。
 そして。戦陣の中、ガルーはその男を見た。旗頭に囲まれ、一際見 事な武具に身を固めた男──自ら剣を振るい、縦横に馬を駆る狼王 の姿を。
 ガルーは血が騒ぐ思いがした。雑兵を蹴散らし、馬首をそちらに向 ける。
「ザドラーン!」
 長槍が楯に阻まれ、一閃とともに断ち切られた。柄を捨て、剣を抜 く。
 刃が交わされ、火花が散った。狼王の色薄い目がガルーを見据え た。壮健な体躯。年齢は四十に届くまい。精悍な面差しには自信と強 靱な意志が溢れていた。
 何度も馬を返し、剣を切り結ぶ。楯で押しやり、返される。腕がしび れ、骨が軋んだ。凄まじい闘気が立ちのぼり、嵐のようにふたりの男 を取り巻いていた。
 ザドラーンが戦いを、血の匂いと人の命を奪うことに悦びを得てい るのは明らかだった。自ら血に塗れることを厭わぬどころか、その様 子は血に飢えた狼を彷彿とさせた。剣を交わすうち、ガルーはそれを 覚った。
(この男を倒せば、戦いは決する──!!)
  気迫をこめて打ちかかるのを、狼王の剣が受け止め、凄まじい膂 力で押し返した。
 剣が弾かれ、手を離れた。続いて肩口に衝撃を受け、ガルーの体 は地面に投げ出された。
「くっ」
  狼王の剣がガルーの頭上に振り下ろされんとした刹那、
「ガルー!」
 エルディシの男が放った矢が狼王の片目に突き立っていた。
 一瞬、時が止まったような気がした。
 狼王は呻き声ひとつ立てず、微動だにしなかった。
 これ幸いと打ちかかる兵をいなし、切り捨てると、ザドラーンは無雑 作に目に突き刺さった矢を引き抜いた。
 その先端に、眼球がついていた。神経の束まで引きずり出す。とろ りと血が溢れ、頬を染めた。
 息を呑み茫然と見つめるガルーの前で、狼王は矢を捨て、血に塗 れた目蓋を静かに閉じると片手で拭った。そうして、小刻みに目蓋を 動かし、ゆっくりと開く。
 すると──。その下から、たったいま失ったはずの、色薄い瞳が現 れたではないか。
  ガルーは絶句した。
(不死身というのは……真実なのか)
  冷たいものが背筋をつたった。
 底知れぬ恐怖、生まれて初めて覚えた恐怖に、肌が粟立ち、震え が走った。
  そんなガルーを見て、狼王は不敵に笑った。
  あとは無我夢中だった。剣を取り、左右から打ちかかる敵の刃をか いくぐり、切り返し、馬の脚を逃れる。狼王はガルーに興味をなくした のか新たな獲物を求め土煙の中に消えた。
 キディスは敗れ、エルディシの戦士たちも生き残った者はわずかだ った。
 そして。落ち延び、傷を癒し、故郷へ戻ったガルーを待っていたの は、火をかけられ、破壊し尽くされた家々の残骸だった。
 ザドラーンは逆らうものは容赦なく叩きつぶす。エルディシの村も例 外ではなかったのだ。女子供家畜の別なく、すべて、殺された。
 茫然としながらもガルーはエィンの姿を捜し求めた。そして見つけ たのだ。エィンの胸を飾っていた碧の玉を繋げた首飾りを。焼け落ち た家の残骸の下から。求婚の時の贈り物。妻のお気に入り。これを あなただと思って、ずっと身につけているから。別れの朝、そう言って 微笑んだ……。
「おおおぉぉぉ──っ!」
 ガルーの咆哮が廃墟にこだました。
「ザドラーン……狼王……殺してやる」
 だが、あの男は不死身なのだ。
  ──オドネルの弓があったら……。
 エィンの言葉が浮かんだ。
(そうだ。魔神の力を借りた不死身の人間を殺すには、魔法の弓しか ない……)
  復讐を誓い、ガルーは魔弓を求め、神々の座を目指した……。






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