海辺でヒッチハイク 1


 海辺でヒッチハイク


 スピードを出した車が次々と傍らを通りすぎていく。
 路肩に溜まった砂をハイヒールで踏みしめながら、礼子は歩き続 けた。
 都市と臨海部をつなぐ幹線道路は、バス停どころか傍に民家もな いありさまだった。
(あのバカ)
 怒りが礼子の背筋を伸ばし、足を運ばせる。かれこれ二十分は歩 きつづけているはずだ。爪先が痛い。
「彼女、どうしたの? ひとり?」
 背後から迫ってきた黒いスポーツタイプの車がスピードをおとし並 走すると、溶けたキャンディーみたいにねばついた声がかけられる。
 舌打ちをこらえると、礼子は横目でちらりと車を見やった。運転席 からこちらを窺っているのは二十歳前後のいかにもおつむの軽そう な若造だった。
  これで五台目だ。世の中には親切な男が多いものだ。皮肉な思い で唇の端を引き締めながら、礼子は黙って歩を進めた。
「どうしたの? 彼氏においてきぼりをくったの? そんな薄情な男の ことなんか忘れて、楽しくやろうよ。乗りなよ。送っていくよ」
 足を止めた。こちらがその気になったと思ったのか、男も車を停め る。
(こいつ、何をそう嬉しそうな顔をしてるんだ)
 八つ当たりとはわかっているが、腹が立って仕方がない。
「どこでも行くよ」
「そう。だったら、北海道まで行ってくださる?」
 にこりともせず言った。
 男は一瞬怪訝な顔をしたが、礼子が冗談を言ったと思ったのかす ぐに表情を崩し白い歯を見せる。
「やだな。冗談きついよ」
「本気よ。北海道まで行ってくれるの、くれないの」
 冷やかに見下ろす礼子に男は気押されたように呟く。
「まいったな」
「その覚悟もなしに気安く声をかけるんじゃねえ! とっとと行った ら? 後続車の迷惑だろーが」
 凄味をきかせて言うと、男はそそくさと前を向き、すぐさま車を発進 させた。それを見送り、礼子はフン、と鼻を鳴らした。
 その時──
 くすっ。
 背後で誰かが笑った。
 振り向くと、ガードレールにひとりの少年が腰をかけていた。十四、 五歳くらいのなかなかの美少年だった。今のやりとりを聞いていたの だろう。いたずらっぽく笑みを浮かべている。
 その顔を見つめながら、怪訝に思った。
(この子……)
 いつの間に現れたのだろう? 礼子は少年の前を通った覚えはな い。
 ガードレールは道路に沿って伸びているが、その下は枯れ草に覆 われた土手になっている。
 気づかなかっただけで、もしかするとずっと後ろを歩いていたのだ ろうか?
「おねーさん、ヒッチハイカーなの?」
 少年の言葉に、一瞬からかわれているのかと思った。しかし、その 瞳に邪気はない。
「こんな恰好したヒッチハイカーがいると思う?」
 礼子は両腕を広げてみせた。ホワイトグレーのハーフコートにフレ アースカート、足元は六センチヒールのパンプスだ。ヒッチハイカーと いえばやはりジーンズにバックパックといったところが相場だろう。
「でも、北海道まで行くんでしょう?」
「まさか。あれは婉曲な断りの表現よ」
「へえ」
 礼子の言葉に少年はどこか感心したように目を丸くする。
 大人というのは、さまざまな修辞を弄するものである。
「あなたこそ、どうしたの?」
「ぼく? ぼくは……迷子」
「え?」
「というか、ずっと誰かが止まってくれるのを待ってるんだけど、誰も 止まってくれないんだ」
  なるほど。ヒッチハイクしてるわけね。
「どこへ行こうっていうの?」
「海」
「だったら方向が逆よ。あっちへ立たなきゃ」
 反対車線を示す。
「そうか…」
 少年は初めて気がついた、といったふうに道路を見やる。
「随分、待ってるの?」
「うん」
「だったら、歩いた方が早いんじゃない? 三十分もかからないわ よ」
「そうなの? でも道に迷うといけないと思って」
「一本道よ。ここを歩いていけば、じきに海が見えるわ」
 礼子は腕を伸ばし、自らが歩いてきた方向を指さした。
「そうか。じゃ、行ってみようかな。ありがとう」
 にこっと笑うと少年はガードレールからぴょん、と立ち上がり、歩き はじめる。
 その背を見送り踵を返しかけたが、ふと足を止め、礼子は思い立 ったように少年の後を追った。
「待って。私も一緒に行くわ」
「え? でも、おねーさん、あっちから歩いてきたんじゃないの?」
 横に並んだ年上の女を見やり不思議そうに尋ねる少年に、礼子は 肩をすくめてみせた。
「あぶないからよ」
  少年は怪訝な顔をした。
「あんたみたいな子がひとりで歩いていて、車に引きずり込まれたら おしまいよ」
 とんでもない言い草だが、なかば本気だった。
「そうなの?」
 きょとんと自信なげに見返す少年に、礼子はわけしりな年長者の 顔で頷いた。
「世の中にはいろんな人がいるのよ。それに、ちょっと忘れ物したか ら」
「ほんと。じゃあ、一緒に行ってくれる?」
 少年は嬉しそうに言った。


 夕暮れに近い、翳りを帯びた空が頭の上に広がっていた。晩秋の 風が、車道側を歩く、礼子の肩のあたりで揃えた髪を舞い上げる。 ポケットに手を入れ、首を縮めた。気温が低下している。
 礼子は隣を歩く少年のジャンパーにジーンズといった軽装を横目 で見やった。ジャンパーの前ははだけ、下には白いシャツを着てい るだけだ。
 寒くないのだろうか? 若さか、それとも、
(ババシャツでも着てるのかしら)
 視線に気づいたのか、少年は振り向くとにこっと笑った。邪気のな い笑顔がまぶしくて礼子は思わずどぎまぎとした。
 おそらく十歳近く年下だろう。そんな子供に対する自分の反応に戸 惑い、気恥ずかしさを覚えた。そして思い浮かべる。あのバカもこん な笑顔をするのだ。
「私は、泉原礼子。あなたは?」
 礼子は尋ねた。こうして並んで歩くのも何かの縁だろう。
「少年A」
 礼子は眉をひそめた。家出少年、という言葉が頭に浮かぶ。
「少年A、ね。いいわ。じゃ、エイって呼ぶわ。いくつ?」
「年? 十五……おねーさんは?」
「女に年を訊くもんじゃない」
「すみません」
 思わず語気を荒らげた礼子にエイは神妙な顔で頭を下げる。生意 気盛りの年代にしては結構素直だ。案外育ちがいいのかもしれな い。さらりとした髪、聡明そうな目鼻だち、そして痛々しいほど清潔な 首筋を見やり、思った。
「今から海に行ってどうするの?」
「べつに……今年の夏行けなかったから、行きたいんだ」
 遠くを見つめるような眼差しを浮かべ、エイは言った。
「入院してたんだ」
「そう……」
 沈黙が落ちる。傍らを次々と通りすぎる車の音がやけに耳につい た。
「おねーさんこそ、何を忘れたの?」
「大きな忘れ物よ」
 吐き出すように言って、溜息をつく。


 
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