海辺でヒッチハイク 2



(あのバカ)
 礼子は海辺に置き去りにしてきた、イッセーこと田所一生の、端整 だが、どこか茫洋とした顔を思い浮かべた。
(追いかけてもこないなんて。どういうつもりなのよ)
 腹立ちがこみ上げてくる。
(電話ぐらいすればいいじゃないの)
 バッグの中の携帯電話は沈黙したままだ。
 そう思ってから、イッセーの携帯電話は車の中のポーチに入れて あったのだと思い当たる。
(バカ! だったら、公衆電話くらい探せばいいじゃない)
 ますます怒りがこみ上げてくる。
(私より、あのオンボロ・ミニの方が大切だっていうのかよ)
 それとも。
(本気で、怒ってるんだろうか)
 苦い、思いが胸を過る。
 イッセーは礼子の大学の後輩で、一つ年下だった。
 三年前、礼子が学食でラーメンのどんぶりを手に席を探して歩い ていたところ、つまずいて、はずみでこぼれたスープを座っていた男 子学生の肩口にかけてしまったのだ。
「ごめんなさい!」
 慌ててハンカチを取り出す礼子に、その青年は鷹揚に言った。
「いいですよ。しょうゆ味は嫌いじゃないですから。とんこつだとちょっ とイヤかもしれないけど」
「はぁ?」
 なんなのこの男──。
 一瞬、唖然とした。
 礼子が気を使わなくてもいいように、ギャグをかましたんだろうと好 意的に解釈したのだが、後々あれは本気で言っていたのだとわかっ た。
 掴みどころがないというか、どこか茫洋としているが、外見は結構 好みだったので、お詫びもかねて、丁度コンサートのチケットが二枚 あったので誘った。そのころ実は男と別れたばかりで、一緒に行くつ もりで予約しておいたものが手元にあったのだ。
 それがきっかけで、以後なんとなく付き合いだしたのが、現在まで 続いているのだった。
 しかしそれも礼子が就職してからは、仕事やさまざまな行き違いか ら会う機会が減っている。
 考古学を専攻するイッセーは来春大学院に進むことが決まってい る。
 ──僕は弥生式土器より縄文式土器のほうが好きだから。
 年上の気難しい女に捕まったんじゃないかと憐れまれた時、友人 たちに言った言葉がこれだった。
(どういう意味だよ)
 それを聞いた時はさすがに考え込んだ。
 夏休みや春休みには長期で発掘に出かけてしまうし、メールを送 ってきたと思えば、その日発見した遺物の話なんぞを専門用語を交 えてしてくれる。
 礼子は、少年の心を忘れない、ロマン、などと言い出す男は胡散 臭く思う質だが、イッセーの世間擦れしていない、天然ボケともいえ るところを嫌いではなかった。口に出しては言わないが。それどころ か、口を開けば「もっと気のきいたこと言えないの!」とああだこうだ と責めてしまうのだが。
 今日はそのイッセーとの久しぶりのデートだった。イッセーが叔父 さんからただ同然で譲り受けた古ぼけたローバー・ミニで海へドライ ブとしゃれこんだのだが……砂浜で話をしているうちに、なぜか喧嘩 になってしまったのだ。
 ことの起こりは礼子の友人が結婚するという話だった。こちらは単 なる世間話のつもりだったのに、それをイッセーは礼子が暗に結婚 したいとほのめかしていると受け取ったらしい。
 それが礼子の癇にさわった。が、険を抑え、
「どこかにハンサムで金持ちで頼りがいのあるいい男がいたら、結 婚しようかしら」
 冗談めかして言った。厭味のつもりだった。
 するとイッセーは一瞬黙り込み、
「きみがそれで幸せになるなら、僕は止めない」
 などと言いだすではないか。
 それで礼子は完全にキレた。さんざんなじって罵った挙げ句、
「いいわ。わかった。これで終わりにしましょう。もう二度と会わない わ」
 そんな言葉が口をついて出た。
 言ってからしまったと思ったが、イッセーは茫然としてただ黙ってい る。
「バカ!」
 その顔を見ているうちに怒りが頂点に達し、気がつくと礼子はイッ セーの頬を叩いていた。そしてジャケットのポケットから覗いていた 車のキーを奪うと、波打ち際まで走っていき、海に投げ捨てたのだっ た。
「おい、待てよ──」
 追いすがるのを振り払い、エルボーを決めると、礼子はそのまま、 鳩尾のあたりを両手で抑え呆然と立ち尽くすイッセーを尻目にその 場を立ち去った……。


「というわけ」
 ただ黙って歩いていても仕方がないので、礼子はその日の経緯を 気持ちの整理をするためにも、エイに話した。
「それは……ちょっと──」
 呆れ顔でエイは絶句した。
「自分でもやりすぎたとは思うんだけど、ついカッとしちゃって」
「なんだか、いままでの二人の関係が目に浮かぶようだな」
 エイは嘆息まじりの苦笑を浮かべる。
 いささかむっとした。しかし、確かにそれは言えている。ふたりの喧 嘩はいつも大抵礼子のほうが一方的に怒りだし、イッセーはそれを なだめるといったパターンだった。
「だけど、バカにしてると思わない? 追いかけてもこないなんて」
 キーを探しているのか。JAFを待っているのか──。
(女より車が大切なのかよっ)
 それとも。
 礼子はきゅっと唇を結んだ。
 別れられて、せいせいしたとでも思っているのだろうか? いい加 減礼子に飽きていて、タイミングをはかっていたとか……。
 もしも。そうだとしたら。
「ルーフに乗って大暴れして、ぼっこぼこにへこましてやる!」
「キーを捨てずに持って逃げたら、追いかけてきたんじゃないかな」
「そういうのっていやなの。卑怯だもの」
 言いながら、大人げないと自分でも思う。これではイッセーに愛想 をつかされても仕方がない。
 エイがフッと口許に笑みを浮かべる。
「おねーさんは、イッセーさんが好きなんだね」
 礼子はぐっと言葉に詰まった。
「違うわっ」
「だったら、どうして戻るの?」
「それは……もう二度と会わないって言ったから、一言謝っておこう と思って。いくらなんでもやりすぎたから。JAFの料金を払ってやる わ。それでほんとにおしまい」
「あとで郵送するか振込めばいいのに」
 礼子は鼻白んだ。エイはなかなか意地が悪い。それとも何も考え ていないだけなのか。
 そんな礼子の様子にエイはおかしそうに笑みを堪える。
 話しているうちに随分と歩いていた。カーブしたガードレールの向こ うに海が見えてきた。ちょうど夕日が沈もうとしている。
「海だ……」
 エイは歓声をあげた。
 さらに歩いていくと道路は砂浜と並行に走るようになり、ガードレー ルの代わりにコンクリートの防砂壁になる。
 道路から砂浜へ出る切れ目を見つけるとエイは駆けだした。水平 線の上はオレンジ色の層を成し、頭上の空は青紫色に染まり、星が 一つ二つ、輝きはじめている。ないだ海は穏やかで夕日を受けてき らきらと輝いていた。
 イッセーが車を止めたのはもっと先だったが、礼子はエイにつきあ って砂浜に足を踏み入れた。ヒールが砂にめり込み、足元がおぼつ かない。
「満足?」
 海を見つめる少年に並ぶと礼子は言った。
「うん」
 エイは頷いた。そのまま波打ち際まで歩いていき、水の中に足を 踏み入れる。
「ちょっと、何やってんのよ。濡れちゃうじゃない。上がりなさいよ」
 慌てて言うが、エイは足首まで水に浸かっていた。
「平気だよ」
 振り向いてエイは言った。
「だって……ぼく、幽霊だもん」


 

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