海辺でヒッチハイク 3


「え?」
 目と口をぽかんと開けた礼子の前にエイは静かに歩み寄った。
「ほら」
 礼子はエイの足元に目を落とした。スニーカーは水を吸った様子も なく乾いていた。それどころか、湿った砂の上に当然つくはずの足跡 もない。
「うそ──」
 呆然とエイを見返す。全身が震え、心臓の鼓動が跳ね上がった。
「だって、秋なのに」
 それがエイの存在を否定する正当な理由であるかのように、呟く。
「だから? 人が死ぬのや幽霊が出るのに季節は関係ないよ」
「それは、そうだけど」
 頼りなげに言葉を継ぐ。
「ぼく、行かなきゃならないんだ。でも、その前に海が見たかったん だ」
「………」
「一緒に来る?」
「え?」
 大きく眉をあげた。
「おねーさん、一緒に行ってあげるって言ったじゃない」
 そういって顔を覗き込む。
  夕闇が辺りを包み込む。その中でエイの白い顔だけがやけにはっ きりと見えた。
 急激に気温が下がり、背筋を冷たいものが走った。
「あ、あれは、海まで一緒に行くっていう意味よ」
 声が上擦っていた。
「ぼく、おねーさんのこと気に入っちゃったから、一緒に行きたいな」
「よしてよ。私はまだ死にたくないんだから。やりたいこともあるし。毎 日あんたのためにお祈りしてあげる。だから、黙って成仏して……。 ね」
 ほとんど拝まんばかりだった。
「ふーん。じゃ、代わりにおねーさんの彼氏連れてっちゃおうかな」
 意地悪く言う。
「え?」
「だって、別れるんでしょ? 二度と会わないんでしょう? だったら、 いいじゃない」
 礼子は震えた。恐怖ではなく、怒りのためだ。一気に爆発する。
「冗談! ふざけたこと言うと、しまいに怒るよっ。イッセーには将来 があるんだから──。邪魔したら承知しないわよ!」
「……ぼくだって、やりたいことや夢があったんだ。死にたくて死んだ わけじゃないよ」
 静かに言うエイの姿に胸をつかれた。
「それは、そうだろうけど……」
 力なく呟く。
「どっち? おねーさん? それともイッセーさん?」
 エイはいたずらする子供のようににっと笑った。礼子は絶句した。 こんな問いに答えられるはずもない。死ぬのは嫌だ。かといって自 分のために誰かを犠牲にするのは嫌だ。ましてそれがイッセーだな んて、絶対に嫌だ。
「どうするの?」
 まさに究極の選択だった。
(どうすりゃいいのよ、もう──)
 礼子は歯がみした。
(そんなこと決められるはずないじゃない)
 だったら。
「あんた、行くのやめなさい」
 礼子はきっぱりと言った。半ばヤケだった。
「私の命も、イッセーもあげない。どうしても一人で行くのが嫌だとい うなら、残りなさい。でも浮遊霊や地縛霊になるのはかわいそうだし 人迷惑だから、私にとりつきなさい。私があんたの望みをかなえてあ げる」
 エイは唖然としたように礼子を見ている。意外な展開に驚いたのだ ろう。
「何がやりたかったの?」
「本気、なの……?」
「本気よ。だから、言ってごらんなさい」
「ジャ○ーズ事務所に入って、アイドルになりたかった」
 ジャ○ーズ事務所──!!
  礼子は、うっと怯んだ。
 それを見てエイは人をくったような笑みを浮かべる。
「冗談だよ」
 あのな〜……。
「でも、バンドがやりたかったな」
 バンド──。礼子は憂鬱になった。はっきりいって礼子には音楽的 センスというものが欠けている。カラオケも苦手だ。よりによってなん て夢を抱きやがるんだ、このガキは──という気持ちだったが、女 に二言はない。
「わかった。バンドつくったげる」
「ほんと?」
「ほんと。ただし、私は音痴だからボーカルは無理よ。不器用だから ギターもだめ。リズム感ないからドラムもパス」
「何ならいいの?」
「そうね。カスタネットかタンバリン」
 大真面目に答える。と、プーッといきなりエイは噴き出した。
「な、何よ。何がおかしいのよ。人が真剣に話してるのに」
 憮然とした。エイは腹を抱えて笑っている。幽霊に笑われるなん て、私って何? だ。
「おねーさんていい人だね。好きだよ」
 真顔になって言うとエイが抱きついてくる。その身体は冷たかっ た。
「もっと前に会いたかったな」
  耳元で囁く。表情は見えなかった。
「ありがとう。一人で行けるよ。さよなら」
  身体を抱きしめていた力が消えると同時に、エイの姿も消えてい た。
「エイ?」
 礼子は周囲を見回した。すっかり暗くなっている。道路を照らす外 灯の明かりが一際目にしみる。
 奇妙な喪失感を胸に抱き、礼子はその場に立ち尽くしていた。





「なにやってんのよ。こんな所で」
 ぶっきらぼうに声をかける。
 イッセーはあの時話していた場所にそのまま腰をおろし暗い海を 見つめていた。
「戻ってきたんだ」
 礼子を見て馬鹿みたいに言って立ち上がる。
「ん……戻ってきた」
 しばらく見つめ合う形になる。決まり悪い思いをそらそうと、そっけ なく尋ねた。
「JAFに連絡した?」
「いや。ケータイ、車の中だから」
  礼子はイッセーの身体に腕を回した。エイのように冷たかったが、 この身体は再び温かくなるのだ。
 その肩に頭をのせる。慣れた手が背中を包み込み、互いの胸の 鼓動が冷えた布地越しに伝わってくる。
「なんで追いかけてこなかったの」
「ますます怒って手がつけられなくなると思って」
 一瞬むっとしたが、その通りかもしれない。怒りに任せて、それこ そその場に通りがかった車を止めて飛び乗っていたかもしれない。
 だからといって、こんな所でひとり海を見ている男の気が知れない と思った。
(何考えてんだ)
 そういう気持ちが伝わったのか、イッセーは困ったような顔をした。
「きみは、僕が怒らせたりしなければ馬鹿なことはしない人だから」
 なんだそれは──。礼子を信じていると言いたいのかもしれない が、もどかしさを感じた。ずれまくった男だと思う。
(もしかすると、こちらが思っているほどに私のことを好きなわけでは ないのかもしれない)
 そう思うと、物悲しくなった。たしかに一緒にいれば好意や思いやり を感じるし、照れながらも、好きだ、と言われたこともある。それ以上 のことだってしている。だけどもともと、周りが見えなくなるような、情 熱的な恋というのとは違う。
 しかも、よくよく考えると、ものすごいセリフだ。まるで自分だけが礼 子の心を揺るがすことができるのだと言っているようなものだ。
 それに気づいて、羞恥とも憤怒ともつかない感情が湧き上がり、一 瞬、首を絞めてやろうかと思った。
 もちろん、イッセーはそんな自信家ではない。そこまで深く考えては いないだろう。
 だけど。まるきりの他人に「結婚すれば」と言われたのならば「余計 なお世話だ。馬鹿野郎」で終わりだ。怒ったのはイッセーだったから だ。どうでもいい人間の言葉に傷つくほどやわでもヒマでもない。そ う、傷ついたのだ。どうでもよくない相手だったから。イッセー、だか ら。
「どうしたの」
 礼子の様子に不安なものを感じたのか、イッセーは気づかわしげ に尋ね、言葉を継いだ。
「ごめん……。悪かった。言葉が足りなかったんだ。できれば僕がき みを幸せにしたいけど、いまはまだ……」
 先のことなど、まだ、わからない。
 将来の約束がほしいわけではない。ただ──
「私が戻ってきて、嬉しい?」
「嬉しい」
「ほんとうに?」
「うん。あの時のラーメンがしょうゆ味でよかったと思ってる」
「……バカ」
「それはよく、わかっているから」
 生真面目に応えるイッセーに、礼子は苦笑した。
(なら、いッか)
  先のことはわからない。でも、いまは好き、だから。
 エイに決断を迫られた時、自分の命とイッセーの命とどっちを選ぶ なんてできなかった。イッセーじゃなくて自分を連れていけなんて言 えなかった。
 たぶん、私は、ずるいのだろう。欲張りなのだろう。でも、自分と同 じくらい相手を大切に思うこと。自分の夢と同じく相手の夢を大切に 思うこと。この気持ちがある限り、まだ一緒にいられる。
「どうやって帰ろう」
 JAFを呼ぼうか──口を開きかけ、礼子は波うち際の砂の上に何 か光るものを見つけた。ガラスの破片かと思ったが、近寄ると海に 投げ捨てたはずのキーだった。
 エイの仕業だ。礼子は直観した。
「ありがとう」
 海に向かって呟く。
 キーを拾い上げ、顔の横で小さく振って見せるとイッセーは目を丸 くした。
「タンバリン買わなきゃ…」
「え?」
「なんでもない。いきましょ」


-end-





Menu | Novel1 | Novel2

LunaPark文庫

2style.net