天使の住む都市 1


  天使の住む都市


     1

  高層ビルが立ち並ぶ通りを、電磁誘導された色とりどりの車両が流 れるように走っている。
 青空を背景に、ゆっくりと流れる雲が鏡と化したガラスビルの壁面 に映し出されるのを、俺は歩道に立って見上げていた。
 それは一種モニュメントめいた、偶然性の高い瞬間芸術を思わせ る眺めだった。
 洗練され明るく活気に満ちていて、ほどほどに粗野。それが、俺の この都市に対する印象だ。
「こんな都市、嫌いだ」
 ここへ来てまだ半日とたっていないのに、いや、だからこそ、俺はそ う思った。
  一月前、生まれ育った惑星を捨て、銀河を横切り、はるばるここま で来たというのに。
「畜生……」
 どこにだって、いやなやつはいるだろうし、犯罪だってある。それは わかっている。
 だけど。あんまりじゃないか。
 俺は歩道に設置された、三色すみれの植えられたプランターの前 に力なく腰を下ろした。
 街は色あせた、遠近感のとぼしい薄っぺらな2D写真のようで、舞 台の書き割りみたいによそよそしく非現実的だった。
 何もかもが幻で、手を伸ばしたらホログラムみたいに素通しになり そうだ。

 ──オーリスはいい所よ。あなたも気に入ると思うわ。

 二カ月前のマリーンの言葉が甦る。

 ──ラファエル・シティには天使がいるのよ。

「あの嘘つき女」
 俺は唇を噛んだ。マリーンの言葉なんかを真に受けた自分がバカ だった。
 好きでこの都市へ来たわけじゃない。
 遅かれ早かれ、こうなることだってわかっていた。
 それでも、少しは期待していたのだ。コーヒーに入れる、砂糖一杯 分くらいには。
「なのに……」
 これから、どうしようか。金はないし、行く宛もない。
 目の前を何人もの人が通りすぎていった
 誰も、俺のことなど気に留めたりしない。
 当たり前だ。俺だって、逆の立場だったら、歩道の隅でこんな風に 座り込んでぼんやり街を見ているやつのことなど、気にも留めないは ずだ。
 ビルや街路樹や商店の看板や、信号機と同じだ。よほどのことが ない限り、街の一部として処理される。
 都市というのは、どこでもだいたい同じようなものだ。
 だけど。ここは、俺の都市じゃない……。空気の色が違う。人が違 う。匂いが違う。
 俺はふいに泣きだしたくなった。
 泣きだしたくなるに足る理由は充分すぎるほどあった。
 だけど、もうすぐ十五になろうというのに人前で泣くなど、俺のプライ ドが許さない。それも、見知らぬ街の、見知らぬ人たちの前で。
 二カ月前だって、誰の前でも泣かなかった。超光速通信をかけてき た、不鮮明な画像のマリーンの前でだって──
 俺が泣いたのは、全てが終わった後、一人きりになって妙にがらん とした部屋の中でだけだ。
 その時の記憶が甦り、俺は胸がつまる思いがした。胸の奥底で波 うつものがあり、目頭が熱くなってくる。
 俺は顔を伏せ、歯を食いしばった。
 泣くんじゃない。畜生、泣くんじゃない。泣いていいのは、子供だけ だ。俺は、子供じゃない……。

「どうした?」
 突然、頭の上から声が降ってきて、俺はビクッと肩を震わせた。素 早く目元を拭って涙が零れていないのを確認する。
 顔を上げると、男が一人立っていた。
 すらりとした長身が、背景の都市の風景から鮮やかに浮かび上が っていた。
 俺はぽかんと口を開けた。なんというか、やけに神々しく見えたの だ。
 ほとんど白に近いプラチナ・ブロンドの髪が、午後の光を受けて輝 いていた。白い滑らかな皮膚が緩みなく張りついた端整な顔にミラー グラスをかけ、その姿は美の極致を刻んだ彫像のように完璧で印象 的だった。
 男は心持ち唇の端を持ち上げている。それがどこか不遜な表情を 形作り、男が彫像などでなく、もっと人間的な存在であることを示して いた。
「迷子になったのか?」
 からかうような口調だった。
 俺は表情を引き締めると、むっとして男を睨みつけた。しかし、視線 はミラーグラスによって、あっさりと跳ね返されてしまう。
「名前は? 年はいくつだ」
 尊大で、人を見下すような態度に強い反発を覚えた。
 たぶん、俺はひどく情けない顔をして男を見上げていたのだと思 う。泣きたい気持ちとやり場のない怒り、そして唐突に現れた目の前 の男に対する警戒心と好奇心、そういったものがないまぜになって、 俺の無防備な表情に表れていたに違いない。それを見られた気恥ず かしさと悔しさが、俺の男に対する反感を強めていたのも事実だ。
「そっちこそ、何者なんだい。そのグラスは身体に必要なのか。そうじ ゃないなら、ちゃんと顔を見せろよ。それが礼儀ってもんだろ」
 ふてぶてしく言うと、男はかすかに口許を歪めた。それは皮肉とも 憐れみともとれたが、一瞬後、男は黙って右手を挙げ、滑らかな動 作でミラーグラスを外した。
「──!!」
  俺は、息を呑んだ。男は想像以上の美形だった。形のいい眉と切 れ長の眼があらわになり、神秘的な、紫水晶を思わせる双眸が俺の 目を射抜いた。
 目を逸らすことができなかった。
 その澄んだ瞳の中に、身も心も吸い込まれていく。何か、はかり知 れないものに触れたという恐怖心が、俺を戦かせた。
 その一方で、身体の奥から眩暈にも似た甘い痺れがわき上がり、 蜜のように全身に拡がる。
 カーッと頭に血が昇り、何も考えられなかった。心臓が胸から飛び 出そうとするかのように、どくどくと大きな音をたてる。
(なんだ? どうしたっていうんだ?)
 耳たぶまで真っ赤になりながら、俺は焦りまくっていた。
(落ちつけ。落ちつくんだ)
 確かに今までにお目にかかったこともないようなハンサムには違い ないが、男を見てときめいてどうすんだ。
(俺はストレートだ。断じて、そっちの趣味は持ち合わせていないはず ……)
 なけなしの理性に訴えかけて気を静めようとするが、とんと効き目 がない。
 もしかすると。俺は今まで気づかなかっただけで、実はゲイだった のだろうか? 確かに、マリーンのせいで女に夢を持てないのも事実 だったが…。
  男は俺の動揺がおかしいのか、フッと笑みを浮かべた。
  その笑顔がまたまた脳髄に突き刺さり、俺は頭がクラクラした。慌 てて両手で顔を覆う。全身が小刻みに震え、幸福感と呼ぶには痛み すら覚える強い情動に胸が締めつけられる。
(どうしたんだ、これは…)
(まさか……一目惚れ!?)
  その考えに俺はパニックに陥った。
(そんな、どうしようっっ!!)
「俺は、マクシム・フレイザー」
 男の声が耳をくすぐる。
「気がすんだか?」
 気障で嫌味な言い方だったが、そんなことを気にする余裕もなく、 俺は泣きそうになりながら、両手で顔を覆ったまま、うんうんと何度も 首を縦に振っていた。
 息を整えおずおずと顔を上げると、男はグラスをかけ何事もなかっ たように立っていた。
 すると、急に周りの風景が見えてきた。今の今まで、男以外のも の、世界の残りのすべては俺の意識と視野から消えていたのだ。強 烈な光を浴びせられ、目が眩み何も見えなかったみたいに。
 俺はなんとか落ち着きを取り戻そうと深呼吸を繰り返し、胸ドキの 余韻を振り払うように精一杯虚勢をはって、冷たい美貌を睨み返し た。
「エドアルド・サカキ。十…六──」
 俺は男の顔を見てどぎまぎした自分に対する戸惑いと、それを無 防備にさらして相手に気取られた気まずさから、ぶっきらぼうに応え た。咄嗟に年を二つ誤魔化したが、そんなことはお見通しだったかも しれない。
「エドアルド──いい名前だな」
  "たらし"そのものの言い方だったが、それだけで俺の頬はぽっと赤 らんだ。
  マクシムは面白がるように薄く典雅な唇をゆるめ、言葉を継いだ。
「ここの人間ではないのだろう。どこから来た。知り合いはいるのか」
「関係ないだろ」
 俺の心に再び警戒心が呼び戻される。
「言っとくけど、俺は家出少年でもなければストリート・チルドレンでも ないし、花売り少年でもないんだからな」
「俺も、少年課の補導係ではない」
「だったら、何の用だ」
 俺は挑むようにマクシムを見上げた。
「一応は年長者として、未成年者の行く末を気にかけたから、とでも 言っておこうか」
 グラスのせいでマクシムの表情は読めないが、グラスを外せば表 情を読むどころではなくなるのは確実だ。
 あの紫水晶の瞳を思い出しただけで、胸が熱く震えてくる。
  俺は……病気かもしれない。
 マクシムは悪魔的にきれいで、ひょっとすると俺は一目惚れをした のかもしれないが……、単なる親切なおせっかいやきには見えなか った。この男はそういうタイプの人間ではない。本能がそう告げてい た。
 気をつけよう。甘い言葉と暗い道──という古典的な警句が頭に浮 かんだ。
 俺は上目遣いにちらちらとマクシムを見た。
(この男、何を企んでいるのだろう)
 もしかすると、とんでもない趣味を持っていてマンハントしているの かもしれない。
 うっかりついていったりしたら、さんざん弄ばれて、いたぶられ、あ んなことやこんなことをされた挙げ句、スプラッタで最後は冷蔵庫行 き──なんてことにならないとも限らない。
(うーん。スプラッタはやだな。ベッドに上がるくらいならいいけど…)
 そう考えて俺はハッとした。全身の血がさーっと引いていく。
(な、何を考えているんだ。それでは少年売春、転落の一途だ)
  だが、そう思うそばから、
(でも、全身に剛毛がはえたようないやらしい中年のおっさんを相手 にするよりは、マクシムの方がいいな…)
 などと考え、ぽぽっと頬が赤くなる。
(うわーっ、なななんてことを考えるんだぁぁぁ──っ!!)
 両手を頬に当て、俺は一気に青ざめた。
  マクシムは胸の前で腕を組み、一人で赤くなったり青くなったりして いる俺を、静かに見おろしている。相変わらず何を考えているのか読 めないが、呆れられているのは確実だ。いや、おもしろがられている かもしれない。
「腹が減っていないか?」
「え?」
  言われた途端、腹の虫が鳴った。
(クソッ。なんて正直もんなんだ)
  俺は慌てて両手で腹を押さえ、赤面した。
  マクシムはフッと笑みを浮かべると、ついてこいというように身体の 向きを変えた。
 俺はためらった。
 マクシムは、左の肩ごしに俺を振り返っていた。まるで、道端に捨て られた子犬でも見つけたみたいに。実際マクシムにとって俺はそのく らいのものでしかないのかもしれない。
 首を前に向けるとそのまま歩道を歩きはじめる。俺がついてくると 確信しきっているのか、ついてこなくても別にかまわないと思っている のか、二度とは振り返らない。
 そのすらりと優美な後ろ姿が遠ざかるにつれ、俺は置き去りにされ たような心細さを覚えた。本当に捨てられた子犬になったような気が して、泣きだしたくなった。
(えい! もう、どうなったっていい!)
 俺は立ち上がった。
 少年売春でも、転落の一途でも、スプラッタでもいい。
「かまうもんか。みんな、マリーンのせいだ」
 半ばヤケになって暗い発想をしながら、俺はマクシムの後を追っ た。



 

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