天使の住む都市 2


     2

 二カ月前、親父が死んだ。
 死因は心不全。といっても人の死は最後は皆心不全なのだそうだ が。
 過労死、かもしれない。
 親父は古美術商をしていたが、一年くらい前から商売は不振で、金 策等で苦労していたみたいだから。
 親父の身寄りは俺だけだったから、俺は一人で葬式を出した。
 そして、あとに残ったものは借金だけ。店も家も皆抵当に入ってい た。
 親父の友人のリョウが一緒に住もうと言ってくれたが、彼は結婚し たばかりで、新婚家庭にお邪魔するのは気が引けた。かといってい まさら福祉施設の世話になる気もない。
 取りあえずは奨学金の支給を受けて学校を出て、それから働こう。 そう思った。
 そんなこんなで、月末までに家を明け渡さなければならないのでひ とりで荷物の整理をしながら、これからどうしようかとぼんやり考えて いるとき、マリーンからテレコールがあったのだ。
 マリーン・ソバーグ。三歳のとき別れた俺の母親。俺は親父の死を マリーンにメールで知らせておいたのだ。
 マリーンはその時惑星オーリスの第一都市、ラファエル・シティに住 んでいた。
 マリーンは転々と住居を変える。
 それに従って夫も──。
 せいぜい二流のホログラフィック・アーティストのマリーンは、仕事に 行き詰まったり、あるいは作風を変えようと思ったとき、一番安易な 手段を用いる。
 環境と新しい刺激。つまりは引っ越して新しい男をつくるのだ。本人 はもっと論理的なことを、いや情緒的なことをいうが、俺にいわせれ ばそういうことだ。
  俺の親父はマリーンの二番目の夫だった。俺が三つの時ふたりは 離婚し、俺は親父に引き取られた。その後、マリーンとは数えるほど しか会っていない。
 マリーンは親父と別れたあとも六回の結婚と離婚を繰り返してい る。
 ただのメールやヴィジ・レターではなく、料金の高い超光速通信を かけてくるなどちょっとした驚きだった。親父の死がショックだったの か、それとも、俺のことを気にかけてくれたのか……。
  不鮮明な画像のせいで、悲しみを表そうとしているのか隠そうとして いるのか判然としない表情で、マリーンは悔やみの言葉を述べ、そ れから「宛がないなら一緒に暮らしましょう、オーリスはいい所だか ら、あなたもきっと気に入ると思うわ。幸い私も一人だから」。そう言 ったのだ。

 ──ラファエル・シティには天使がいるのよ。すてきでしょう。

 気を引こうとするかのようにそう付け加える。
  俺は即答しなかった。いまさらマリーンと暮らす気にはなれなかっ た。別に恨んでいるわけじゃないが、母親が必要な時期はすぎてい る。
 マリーンはその気になったらいつでもいらっしゃい。連絡を待ってい るわ──そういってからコールを切る前に、愛しているわ、エディ─ ─と付け加えるのを忘れなかった。
 エディ──マリーンだけが呼ぶ俺の愛称。親父や他の人たちはエド と呼ぶから。
 それは、ただの言葉でしかなかったが、何か不可解な外国語を聞 いた時みたいに俺はぽかんとしていた。だから、インターフェースの 画面が無機質なグレーに戻ってからも、暫く俺はその前にじっとして いた。

 ──愛しているわ、エディ。

  耳慣れない言葉だった。親父は俺にそんな言葉は言わなかったか ら──照れがあったのだろうが、マリーンに言わせると、あの人はニ ホンダンジだからということになる。

 ──愛しているわ、エディ。

  その言葉を耳の奥で反芻する。
  それは──やけに心地よく胸の隙間に響いた。十年の不在を一気 に飛び越すほどではないにせよ。やはり親父が死んで気弱になって いたのだと思う。
 だからといってすぐにマリーンと暮らそうと思ったわけではない。
 奨学金の申込みにいった時、担当官に未成年者の一人暮らしは感 心しないとか、母親がいるなら、母親のところへ言ったほうがいいとぐ だぐだいわれるのに嫌気がさしたし、相談しにいった担任教師に押し 倒されそうになるわ、借金取りにパトロンになってやろうかと言われる わ、一番の友人が転校するわ、密かに憧れていた上級生の女の子 が中年の妻子持ちの教師と駆け落ちをするわ──等々、今の生活 に見切りをつけるだけの理由を見つけると、金に換えられるものは 全部金に換え、旅費をつくると、「これから行く」とだけ書いたメールを マリーンに送り、一人で定期便に乗って故郷を後にしたのだった。
 そして。着いてみると、マリーンはいなかった。
 持っていたモバイル(ケータイ)は規格が違うので使えない。宙港から ヴィジホンをかけると、通信通話会社のおねえさん──たぶんCGだ ろう──が出て、このナンバーは只今使われていませんとのお返 事。
「げっ」
 と思って住所にいくと集合住宅のエントランス・インターホンから、マ ンションの管理コンピュータの声。
『マリーン・ソバーグさんは引っ越されました』
 俺は呆然とした。
「そんな……どこへ引っ越したんだ?」
『あなたはどなたですか?』
「エドアルド・サカキ。マリーン・ソバーグの息子だよ」
『IDカードを提示してください』
 インターホンの横のスリットにIDカードを入れる。
『確認しました。あなたをエドアルド・サカキと認めます』
 そして、管理コンピュータは、マリーンのメッセージを入れたディスク を渡してくれた。
 近くのインターフェースのボックスを探し、ディスクをかける。
 ディスプレイに、俺と同じ栗色の髪と空色の瞳をした女性が現れ た。マリーンだった。ほっそりとして中性的でありながら蠱惑的な容貌 は昔とちっとも変わっていないが、鮮明な映像で見るとやはり目尻の 皺は隠せない。

『エディ。ごめんなさい。驚いたでしょ? 突然だけど、私、こんどスノ ードロップに行くことになったの。結婚することにしたから。詳しい話 は会ったときにするわ。旅行会社にあなたのチケットを預けておくか ら、それでスノードロップまで来てね。それじゃ、また。愛してるわ』

 なんなんだ? 結婚する? そんなこと一言も言ってなかったじゃな いか。まさか、この一ヵ月の間に知り会った男と結婚するのか?
(ありえないことじゃない……)
 怒るより先に、力が抜けそうになった。
「スノードロップってどこだよ」
 インターフェースで情報サービスにアクセスし調べたところ、ウィンタ ース星系の地球移民星と出た。移民暦四十八年というから比較的新 しい。環境は地球化技術により整えられているが、寒冷地が全惑星 の三分の一を占める、とあった。
「また船に乗るのかよ……」
  うんざりしたが、とりあえず旅行会社のオフィスへいってチケットを 受け取ると、これから、ほんとどうしようかな、スノードロップなんか行 って、どうなるんだろ、不安だな……とあれこれ考えながら荷物をぶ らぶらさせて通りを歩いているうちに、気がつくとなんだか人けのない 薄暗い通りに入り込んでいた。
 こんなところで思い悩んでいても仕方がない。まずは腹ごしらえでも して、それから考えよう、そう思った矢先、どこからともなく現れた一 人の若い男が向こうから近づいてくると、俺にぶつかった。
 あっと思うまもなくそのまま荷物を奪うと走っていく。
「泥棒!」
 慌てて追いかける。
 しかし、入り組んだ路地に入り込んだのかすぐに見失ってしまった。
 警察へ行くと、対応に出た中年の警官は、
「まあ、出てくることはないでしょうな。命をとられなかっただけましっ てもんだ」
 血も涙もないようなことをあっさりという。
 銀行口座の残高0、すでに戻る家もない俺にとっての全財産だった のに……。
 ともかくこのままじゃ埒があかないのでスノードロップのマリーンに 連絡してお金を送ってもらおうかと考えた。口座に振替してもらえば すむことだ。
 警察に頼もうかと思ったが、時間がかかりそうなので、インターフェ ースでマンションの管理コンピュータにマリーンの連絡先を尋ねようと したら、
『あなたが、エドアルド・サカキであることを証明してください』
 ときたもんだ。IDカードを盗まれたといっても、だめだ。たく、融通の きかない機械は嫌いだ。
 それで、警察の力を頼ることにしたのだが、スノードロップは遠い上 に特殊な磁気嵐によって日に一時間ほどしか外部との通信ができな い惑星で、おまけに田舎のほうに住んでいるとなるとさらに連絡が悪 くなるため、最低でも二日はかかるだろうと言われてしまった。
  こうして俺は見知らぬ都市に無一文で放り出されることになったの だ。
 警察で教会の無料宿泊所を紹介してくれたが、そこへ行く気にもな れず、街角で途方に暮れていたところマクシムに出会ったというわけ だ。

 俺はそんな事情をハンバーガーを齧りながらぽつぽつと語った。
 マクシムが俺を連れてきたのは、裏通りにある小さなハンバーガー ショップだった。店内には俺たちを含めて七、八人の客がいる。俺は ハンバーガーとポテトとサラダにチキンそしてオレンジジュースを注 文した。マクシムはコーヒーだけだ。
 マクシムは余計な相槌を挟むことなく黙って俺の話に耳を傾けてい た。
 しかし、全部語りおえるのに随分と時間がかかった。話が長かった わけではない。途中で邪魔が入ったのだ。
  隅のテーブルでマクシムと向かい合い、ポテトを摘みながらひったく りにあったくだりを話していると、
「マクシム」
 ひどく場違いなムードの女性が、近づいてきて声をかけた。
  鍔の広い帽子を被り、一目で金持ちのお嬢さんとわかる清楚で上 質な身なりをしている。 店の入口付近に立っている不機嫌を無表情 の下に隠した強面の男はボディガードだろうか。
  年は二十歳くらい。中肉中背の、艶やかな亜麻色の髪を背中に垂 らした美人だった。どことなく中年の妻子持ちの教師と駆け落ちした 上級生の女の子に似ている。
 長いけぶるような睫毛の下から覗く薄緑色の瞳がまっすぐマクシム に据えられているが、そこにはひどく切実なものがあった。
「探したわ。座っていい?」
「だめだ」
  俺が頷きかけるより先にマクシムが言う。真冬の空気みたいな冷た さだ。
「……。どうして連絡してくれないの?」
「約束した覚えはない」
 振り向きもせずマクシムはそっけなく答える。
 彼女の顔が怒りに歪んだ。
「ひどいわ。私の気持ちを知ってるくせに」
「俺には関係ないことだ」
 店内の全ての目が集まっていた。
  俺は間の悪さに俯いて、マクシムを盗み見た。マクシムはテーブル の上に肘をつき、平然としている。
 俺はポテトを機械的に口に運びながら、彼女が今にも泣きだすの ではないかと思ってはらはらした。
「ひとでなし!」
 彼女は右手を振り上げた。しかし、頬を叩く前に手首を掴まれる。
「放して」
 彼女はその手を振りほどこうともがいた。
  ボディガードが近づいてくる。
 マクシムは振り向きもせずに彼女の手を男の前に突き出した。
「連れていけ。二度とこんなわがままをきくな。自分の仕事を忠実に こなすんだな」
 男は、剣呑に目を細めたが、どうにか怒りをおさめると、顔をしか め、彼女の肩に手を置いた。
「行きましょう。お嬢さん。お父さまに知れたら大変です」
 彼女は睫毛を濡らしている。
 男に連れられ出口に向かうが、途中立ち止まって振り向く。しかし、 マクシムは彼女を見ようともしない。
 唇を震わせ、絶望の面持ちを浮かべる、そんな彼女と目が合ってし まった。俺は慌てて強張った愛想笑いを浮かべたが、彼女はそのま ま顔を背け、店を出ていった。
 緊張感が解け店内にほっとした空気が流れるが、好奇心はそうそ う納まるわけでなくちらちらとマクシムを見るものもいたが、当の本人 は平然としている。
「……いいの? あの人、あんたのことが好きなんだろ」
 マクシムの顔に余計なことに口を挟むなと書いてあった。
 だけど、あんなきれいな人が、人前であんな風に取り乱したところ を見せるなんて。いい所のお嬢さんで、プライドだってあるだろうに。
 マクシムの態度は冷たすぎると思った。
「彼女は俺が好きなわけじゃない。錯覚しているだけだ。じきにそれ がわかる」
「けど……」
 マクシムの顔を見るとそれ以上何も言えず、俺は所在なげにオレ ンジジュースのコップを手に取り、ストローを弄んだ。
  軽く顎を上げ、マクシムが話の続きを促す。
「どこまで話したっけ……」
「ひったくりにあったところまでだ」
  一通り話しおえるのを聞くと、マクシムは真顔で言った。
「たぶん、お袋さんはまだスノードロップに着いちゃいないな。あそこ は連絡が悪いから、定期便を乗り着いで一カ月以上かかるはずだ。 深睡眠(スリープ)にはいっているかもしれないから、船を調べて連絡し たとしても取りついでもらえないだろうな。
 女性のなかにはすこしでも時間を"節約"しようとスリープする者が 多いからな」
  スリープしている間、その人物の主観的・肉体的な"時間"は止まっ ていることになる。その分わずかなりとも老化が遅れると若さに価値 をおく者は考えるらしい。
「そうなの?」
 マクシムの告げる事実に俺は途方に暮れた。それではマリーンと 連絡がついてお金を送ってもらうまでさらに時間がかかりそうだ。
  恒星間航行が人の一生以上の期間がかかった時代、宇宙を旅す るにはスリープするより他に方法はなかった。
 その後高空間航行の発見により宇宙旅行はより簡便で短期化さ れ、人類は飛躍的に宇宙に拡がり方々に根をおろすことになったの だが、それでも銀河を横切るとなると月単位の時間がかかる。
 その間仕事をしたり船旅を楽しむために通常の生活を営むか、時 間と経費の節約のため深睡眠ポッドにはいって運ばれるかは概ね自 由だ。
 ルピナスからオーリスへ来るのに、俺は初めての宇宙旅行というこ ともあって起きていくことにしたが、はっきりいって暇を持て余してしま った。
「旅費を稼ぎたいか?」
 マクシムが言う。質問というより確認するような口調だった。
「え、でも……」
 俺は口ごもった。
  できるのならそうしたいが、IDカードもないし、未成年だし、身元引 受人もいないのだ。雇ってくれるところがあるのだろうか。
「仕事を紹介してくれるっていうの?」
 窺うように尋ねる。
「…どんな仕事?」
 どうせ、いかがわしい仕事だろう。この時になって、この男がそうい う目的で近づいてきたのだとおぼろげながら気づいた。しかし、背に 腹はかえられない。
「俺……身体を売るのはいやだぜ」
 言ってから頬が赤らんだ。何をかいわんやだ。
  マクシムはにやっと笑った。
「それはここでは犯罪だ」
 ここじゃなくても、たいていの所で犯罪だ。
「銃器の所持、汎銀河保健機構の定める禁止薬物の使用および所 持も不法だ。十六歳以下の未成年者にたいする性交渉も」
 健全な都市だろ──ミラーグラスを光らせ、そう付け加える。
「ブラッドストーン21番地に、『クォーター・ムーン』という店がある。そ このオーナーは慈悲深い人だから、家出少年なども雇って、青少年 が道を踏み外すことのないように尽力しているらしい」
 らしい? 随分と曖昧な表現だ。その店の人間ではないのだろう か。
「それって、どんな店?」
「会員制の高級クラブだ。客筋は市の有名人や金持ち、身元のはっ きりした者ばかりだ。だから、安心だ」
「ふーん……でも、何やるの?」
「子供はせいぜい皿洗いくらいだな」
「そっか……」
 なんとなくまともそうな気がした。よく考えれば胡散臭いことこの上な いのに。その辺がまだ子供で世間知らずなのだと、親父が生きてい たら言っていたかもしれない。だけど、人の好意を疑ってかかるのは 好きではない。
 好意。そう、俺はそれを好意だと思ったのだ。
 俺はマクシムが自分を慕う若い女性にどんな態度をとったか、忘れ ていた。いや、あれとこれとは別と思っていたのだ。そう思うのはや はり、惚れた欲目だろうか?
「でも、どうしてそんなこと教えてくれるの。もしかしてスカウトの人?」
 最後の理性を振り絞って尋ねる。
「いいや」
 俺はマクシムを見つめた。何か企んでいることは確かだと思った。 でも、信じたい気持ちの方が強かった。
「行くか?」
「あ、うん…」
 俺は曖昧に頷いた。
「だったら、これを持っていけ」
 マクシムはテーブルの上に、銀色に光るコイン型のペンダントを置 いた。
 視線で問うと、にやっと笑ってお守りだと言った。
 俺はおずおずとそれを手に取った。コインには王冠を被った女の 人の横顔が刻まれている。
「それから、俺に聞いて来たとは言うな」
「…どうして?」
 おずおずと尋ねる。
「俺はシャイだからな」
「……」
 店を出ると、マクシムは激励のつもりか、俺の頭に手をおいてくしゃ っと髪をいじった。まるで子供扱いだった。むっとしたが、マクシムの 彫刻みたいな指が触れたと思うと、それだけで胸がときめいた。
「じゃ、気をつけてな」
 口の端で笑いながらマクシムが言う。
「うん。ありがとう」
  片手を挙げて立ち去る。暫く歩いて振り返るとマクシムはまだ歩道 に立って俺を見送っていた。
 俺はスキップしたくなった。あの女の人のことはちらとも見ようとしな かったのに。
 俺が本当にマクシムのいう通りにするかどうか見張っているのでは ないかとか、あるいは憐れな生贄を嘲って見送っているのでないかな どとは考えもしないで、ただ奇妙な優越感が俺の足を軽くしていた。
「ブラッドストーン21か」
  俺はマクシムが教えてくれた店にともかく行ってみることにした。
  そこで、何が待ち受けているかもしらずに。



  

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