天使の住む都市 3


     3

 廊下に出ると背後で扉が閉まった。
「あれ、エド。どっか行くの」
 一瞬遅れてやはり隣の部屋から小柄な少年が出てきて、声をかけ てきた。ミーシャだった。オートロックにもかかわらずノブを引いて鍵 がかかっているかどうかを確認している。
「役所へ行ってIDの再発行の手続きをしてこようと思って」
「ふーん。案内してあげようか」
「いいよ。デイトンさんのところへ行くんだろ」
  当たり障りのない会話を交わしながらアパートを出ると、朝の光がミ ーシャの薄茶色の髪を明るく金茶色に染めあげ、はしばみ色の瞳が 琥珀色に輝いた。それがまた、小作りな顔だちと相まって、この昨夜 知り合ったばかりの少年を愛らしい小動物のように見せていた。
  アパートから歩いて十分ほどで、ブラッドストーン通りに出る。
「こうしてみると、全然違う街みたい」
 俺は目を細め物珍しげに周囲を見回した。
 昨夜垣間見た街の様子を思い浮かべる。イルミネーション。酒と音 楽。さまざまなかけひきと嬌声。にぎやかで虚飾に満ちた夜の街。心 が踊るような、同時に物悲しくなるような光景。ルピナスにもあっただ ろうが、近寄ったこともなければ見たこともなかった、都市のもう一つ の顔。
 日の光の中で見る繁華街は、夜のきらびやかな化粧を落とし、ひっ そりと眠っているように思えた。
 大小のクラブが立ち並ぶ中に、『クォーター・ムーン』の看板と壮麗 な構えのエントランスが垣間見えた。大理石の円柱が並び、金をあし らった装飾と、重厚な黒色の扉。その奥にあるフロアの内装は〈田 舎〉から出てきた少年の度肝を抜くにふさわしい、すごい、立派、高 そう、としか言えないような代物だった。
  昨日、マクシムと別れたその足で『クォーター・ムーン』を訪ねると、 本当に雇ってくれたのだ。
 おまけに従業員寮に借り上げてあるという裏通りにある安アパート の部屋を使っていいと言われた。
 狭い1Kの部屋だったが、一人一室だ。俺と同じ年頃のやつがあと 数人いた。ミーシャもその一人で、年齢は十六歳だという。俺と同じ く、一つ二つさばをよんでいるのかと思ったが、どうやら童顔なだけら しい。
 オーリスの田舎町の出身で二カ月ほど前、ラファエル・シティに出て きたのだという。
『別に僕の場合は家出じゃないよ。親もいなければ家もないから』
 新天地を求めただけだというのがミーシャの弁だった。オーリスで は十六歳になれば法的にも準成人と見なされる。だから親や後見人 の許しは必要とせずに、好きな所で暮らしていいんだ、とも言った。
「デイトンさんてどんな人? ちょくちょく呼ばれるの」
 顔を向け、隣を歩くミーシャに声をかけた。
「うーん。僕はこれで二度目かな、家に呼ばれるのは。お昼を食べさ せてくれて、子供のころの話とか、世間話をするくらい」
  デイトンというのは、俺はまだ会ってはいないが『クォーター・ムー ン』のオーナーだった。なんでも、非合法に雇った少年たちの将来を 心配して、定期的に何人か家に呼んでいろいろと話をしてくれるのだ という。ちゃんとした家がある少年には頭ごなしでなく、帰るように諭 し、そうでない少年には将来どうしたいのか、いろいろと相談に乗っ てくれるのだという。養子先や留学先を紹介してくれたりもするらし い。
 その話を聞いたとき、俺はなんとなく、口髭をたくわえたハンサムな 中年男を想像してしまった。「足長おじさん」とでもいうか。
 俺の面接は支配人だという男がした。簡単に事情を説明し母親の いるスノードロップへ行くため旅費を稼ぎたい旨を話すと、『大変だ ね。がんばりなさい』と言われ、前借りまでさせてくれた。
 水商売だからなのか、オーナーの意志なのかしらないが、この都市 の人達は妙にさばけているのかもしれない。
 第一、未成年者を雇っていたことが知れても当局は何も咎めない のだろうか。いくら十六歳から準成人とみなされるとはいっても、やは り労働基準法に触れるんじゃないんだろうか。ばれないようにうまくや っているのか……。
 考えると、デイトンも『クォーター・ムーン』もちょっとどころか超怪し いかもしれない。だが、いまは仕事につけただけでありがたかった。
「じゃ、仕事は六時からだから」
「わかってる」
  ミーシャと別れ、俺は地下鉄の駅にむかって歩いた。



  外世界人管理局へ行って、IDの再発行の申請をすませると、俺は 暫く街をぶらつくことにした。
  葉を繁らせた街路樹が、初夏の陽光を遮り、歩道に影を落としてい る。
  外世界人管理局のある通りの歩道にはカフェのテラスが張り出し、 テーブルがいくつも並んでいた。
 物珍しげに見ていると、目の前をミニドラゴンを右肩に乗せた、買 い物帰りと思しきおばさんが通りすぎていった。
 背中に透き通るような羽根を持つ、体長十五センチにも満たない、 緑色した小さな竜はたぶんb‐ペットだろう。
 そいつは主人の肩の上で丸くなっていたが、通りすがりに心持ち頭 を上げると、値踏みするように赤く燃えるルビーのような二つの目玉 を俺に向けた。
 俺が何者か推し量ろうと、小さな紅玉が束の間底光りする。
 この伝説上の獣を形どった小さな合成生物は、単なる愛玩用では なく、護身機能も備えているタイプなのだろう。主人に危害を加えよう とする者を鋭く察知し、普段は隠している鋭い爪と口から吐き出す火 炎によって相手を撃退するわけだ。
 ミニドラゴンはすぐに俺に興味をなくし、再び主人の肩の上で丸くな った。どうやら無害と判定されたらしい。
 俺は、ベージュのスーツを着たおばさんのやけに広々とした背中 と、その肩で揺られる小さな竜を見送りながら、よく落ちないものだと 感心し、ふと彼らにも心というものがあるのだろうかと考えた。
 b‐ペットは、バイオテクノロジーの粋を集めて作りだされた合成生 物だ。銀河に存在しているあらゆる生物の遺伝子を基に自由な発想 を生かしてデザインされ、生み出されたものなのだ。
 垂直跳びをするステッキ蛇だの、手乗りペンギンといったものが売 れているらしいが、人間もどきの合成人間を造ることは法律で禁止さ れている。
 彼らは一代限りだ。交配して子孫を残すこともなく、短い生を人間 の友として暮らす。また、飽きたり、捨てられたりして処理場行きとな るb‐ペットの数も年々増加し、動物愛護の面からも問題になっている と聞いた。
 一説によると、やつらはそれでも最後の瞬間まで人間を愛している らしい。本能にそうインプットされているからだそうだ。
 その話を聞いた時、俺は吐き気がした。激しい憤りを覚え、自分が 人間であることにすら嫌悪を感じた。
 自分では何もせず、盲目的に愛されることだけを望むのは傲慢以 外の何ものでもない。生み出した者が生み出された者を好きにでき ると思い込んでいるのと同じく、唾棄すべきことだ。
 それでも。俺の心臓の何百分の一グラムかは、彼らをうらやんでい た。b‐ペットには悲しみはあっても、憎しみはないのかもしれない。ど んなに冷たくされても、頭を一撫でされれば尻尾を千切れんばかりに 振る小犬のように。
 本当のところは、よくわからない。案外、自分に向けられる愛情の 多寡によって主人に対する愛と忠誠心を変化させるという、打算的と いうか、実にまっとうな心根をしているのかもしれないし。
 だとしたら、ちょっと愉快だ。
 俺は随分と長い間、どうやら幸せな共生関係を結んでいるらしい緑 色の小竜とおばさんを目で追いつづけた。
 街は様々な人で溢れている。こうしてみると他にもペットを連れてい る人が結構いる。それは動物だったり、ロボットだったり、b‐ペットだ ったり、あるいは恋人だったり、子供だったりした。
 何も連れていない人でも、家へ帰れば家族がいたり、観葉植物の 鉢が待っているのかもしれない。
  そう思うと心もとなさを覚えた。
 それを振り払うように俺は両腕を頭の上に挙げ、大きく伸びをし た。
「あー腹減った」
  わざと口に出して言う。
 カフェで何か食べようかと思ったとき、ふと通りの向こうを見覚えの ある白髪頭が歩いているのが見えた。
(マクシムだ)
 そう思った途端、ドクンと心臓が大きく波うった。
(なんでこんなところに)
 といっても、この街に住んでいるのだからマクシムが通りを歩いて いても別に不思議でもなんでもない。が、
(行ってしまう──)
 考えるより早く足が動いて、俺は通りを横切っていた。
 同じようにカフェのテーブルが並ぶ歩道を多くの人達が歩いてい る。その中で、丈高いマクシムの白髪頭が浮遊するように動いてい る。優雅に、しかし辺りを払うように。
  俺は服の上から、昨日マクシムに貰ったペンダントを掴んだ。
  声をかけようかどうしようか、迷った。
  偶然見かけたから……働き口を見つけた報告とお礼を言いたいか ら……理由はあったが、それではほんの少し言葉を交わして、さよな ら、という事態になってしまわないともかぎらない。そんなのは嫌だっ た。
  向こうから歩いてきた、一人のお婆さんがマクシムに声をかけた。 どうやら道を訊いているらしい。
 マクシムは老婆の言葉に頷き、腕を延ばして説明している。妙に親 切だ。意外な一面を見た気がした。
  お婆さんは礼を言って、離れていった。マクシムは足を止め、一瞬 その後ろ姿を見送ったが、すぐにまた歩きだした。
 再び後を追う。
(なにやってんだろ俺……)
 馬鹿みたいだと思うが、マクシムの姿を見ていたいという気持ちと、 その正体を見極めたいという好奇心に勝てなかった。
 マクシムはブロックの角を曲がった。
 俺もあわてて後を追う。
 と──。

「何か用か」
 目の前にマクシムが立っていた。ミラーグラスに、俺の、狼狽し間 の抜けた顔が映っている。
「べ、別に──」
 俺はうろたえ口ごもった。こそこそと後をつけていたと思われてしま った。実際その通りなのだけれど。
 『クォーター・ムーン』で雇ってもらったということを報告したかったの だといえばよかったのだが、何故か素直に口に出せなかった。反対 に、気がつくと皮肉っぽく言っていた。
「随分と親切なんだな。それとも"年上"趣味だったのか」
 昨日ハンバーガー・ショップでわけありの美女にとった態度と、たっ た今あのお婆さんに見せた態度とでは大違いだ。
「通りすがりだからな」
「え?」
「親切を親切として受け取り、余計な期待を抱かない。そういう関係 が一番だ」
 真顔でいうマクシムに俺は何と答えていいのかわからなかった。
 探るように見上げ、口を開こうとしたその時──
 鐘の音が聞こえ、同時に歓声が上がった。ゼンマイ仕掛けの懐か しい音楽が静かに流れだす。
 視線を向けると、マクシムの背後は公園になっていて、木立に囲ま れた小さな広場に大勢の人々が集まっている。
 人々は公園の向こうにそびえ立つ白い高層ビルを見上げていた。
  つられて顔をあげると、尖塔を思わせる白いビルの上方に数人の 人が飛んでいるのが見えた。いや、人ではない。背中に白い羽根が ある。ゆったりとした白い衣装を身につけた天使たちが、オルゴール の音色に合わせて優雅に舞っているのだ。
「なんなの、あれ」
「ホログラムだ」
  ぽかんとして尋ねる俺の耳にマクシムの声が聞こえた。
「あのビルは市庁舎だ。毎日正午の時報とともに、天使が舞うように なっているんだ。市長の趣味だな」
「趣味?」
「野党の議員が税金の無駄遣いだと言ってるが、三期もやってると好 き放題だからな」
 市庁舎ができたのは一昨年だが、そのときも、規模や内装が公務 に必要と思えない豪華さだとされ、税金でこんな過剰なものをつくっ て、といった批判がでたという。
「もっとも観光客には好評で、ラファエル・シティは『天使の住む都市』 だなどと言うやつもいる」
「ああ、それで……」
 マリーンが言っていたことを思い出す。

 ──ラファエル・シティには天使がいるのよ。すてきでしょう。

 俺はぼんやりと優雅な天使たちの浮遊を見上げていた。
 やがて天使たちは何か巻き取った布のような物を取り出し、上下左 右に別れて拡げはじめた。そこに文字が現れる。

  ペットを捨てないように
  弱者に愛の手を

「あれは?」
 今週の標語か何かだろうか。
「なんて読める?」
  マクシムの問いかけに、俺は見たまんまを口にした。
「あれは、人によって見え方が違うんだ」
「そうなの?」
 驚いて再び、標語を掲げる天使たちを見上げる。天使たちはゆっく りとビルの周囲を一周する。
「見た人のサイコ・ウェイヴに反応して、その人物の心の状態、ある いは悩みにぴったりな言葉が浮かび上がるようになっているんだ」
「へえ」
 俺はすっかり感心して、首が痛くなるのも構わず、天使たちが標語 を巻き取り、一人、二人とビルの壁面に消えてゆくのを眺めていた。
 天使たちが消えると、集まっていた人々もざわめきながら、散会し はじめた。

 ──ペットを捨てないように。
 ──弱者に愛の手を。

 それは確かに昨日、俺がこの都市に来て味わった気分にぴったり だった。
「あんたは、なんて見えたの」
 恐る恐る尋ねる。
「『詮索好きの子供にかかわるな』」
  その言葉はナイフのように胸に突き刺さった。
「お守り、大事にしとけよ」
 マクシムは手を伸ばすと、俺の襟元に覗いている鎖に指先を絡め た。一瞬冷たい指先が首筋に触れ、俺は身震いした。嫌悪感からで はない。頬がかーっと熱くなる。それを誤魔化すために、俺は乱暴に その手を払った。
「何すんだよ!」
  マクシムは口の端で笑うと、手を放し、そのまま踵を返した。
 俺は唇を噛みしめながらその場に立ち尽くし、ホログラムの天使が 地上におりたったみたいなその後ろ姿が、街角に溶け、すっかり消え 去るまで見送っていた。



  

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