天使の住む都市 5


     5

 頭の上で、シャンデリアが光を弾いている。
 音楽が流れ、盛装した男女が集う広間の隅で、俺は落ちつかない 気持ちで立っていた。
 支配人からデイトンの別荘で開かれるパーティの手伝いに行くよう に言われたのは、その日の朝のことだった。突然鳴り響いたヴィジホ ンのコール音で起こされたのだ。
「俺……いや、僕だけですか」
『少し手が足りないということなんだ。こちらもそう人数を割くわけには いかないからね。デイトン氏がきみに会いたいとおっしゃっているか ら、丁度いい機会だろう。腹蔵なく希望を言うといい』
「はあ…」
『これから車を回すからすぐに出発してほしい。いいね』
  というやりとりがあって五分もたたないうちに迎えがやってきて、俺 は取るものも取りあえずあわただしく出発した。
 別荘は市街を外れた海に面した静かな場所にあった。広い敷地は 堅固な塀で囲まれ、まるで要塞のような雰囲気だった。
 邸宅は三階建てで白亜の城を思わせる外観をしていて、中身はそ れにまして豪華で装飾的だった。
 赤い絨毯の敷かれた廊下や部屋の隅には、大きな花瓶や彫刻、 甲冑がおかれ、天井や壁には絵画やレリーフでさまざまな意匠が施 されていた。
 本物かどうかはしらないが、死んだ親父が見たら興味を持ちそうな 代物が所狭しとおかれている。一応貴族趣味といっていいのかもし れないが、統一感というものがいま一つ感じられない。マリーンなら、 重厚と過剰、洗練と金額をはき違えた成り金の俗物趣味、といって 顔をしかめるかもしれない。
「まっとうな人間が住めるところじゃないよな……」
 いろんな意味で、そう思った。
 パーティの会場は一階の大広間。夕方から夜半にかけて行われる ということだった。
 俺は指示されるままにすでに十分に磨き込まれた銀器やグラスの 曇りを拭ったり、運んだりして、セッティングの手伝いをしたが、一段 落したころ、慇懃だが尊大な印象の男に呼ばれた。ここへきたとき執 事だと紹介された男だった。
「きみ、そこはもういいから、こちらへ来なさい。デイトン氏がお会いに なるそうだ」
  きょろきょろと物珍しそうに周囲を見回しながら、執事の後に従い、 一人だったら絶対迷子になるような廊下や階段をあがり、着いた先 に待っていたのは五十歳前後の目つきの鋭い男だった。髪はあくま でも黒く白いものは混じっていない。浅黒く、ゆるぎない体躯をラフな 白い部屋着に包んでいる。それがデイトンだった。
「きみがエドアルド・サカキだね。出身はルピナスだと聞いたが、なぜ オーリスへ」
 俺は結局また自分の身の上話をかい摘んでして、仕事に特に不満 はないし、旅費が稼げればそれでいいと話した。
 その間デイトンは黙って俺を見ていた。
「そうか。では三月ほど働かないといけないな」
「でもその前に母と連絡が着くかもしれませんから…」
「それもそうだ」
 大きくうなずくと笑みを浮かべ、やさしげな言葉をかける。
「この都市にいる間、なにか困ったことがあったら私に言いなさい。で きるかぎり力になろう」
「ありがとうございます」
 『謁見』が終わって部屋をでると、俺はふーっと息をついた。かなり 緊張していたらしい。
 そのときのことを思い出し、凝りをほぐすように左右の肩を上下さ せる。が、すぐに、それを誰かに見られたのではないかと、周囲を見 回し、居住まいを正した。
 パーティの客は三十人程だった。めいめいグラスを片手に歓談して いる。
 客はクラブの常連やデイトンの個人的な知り合いらしい。議会がど うのとか、景気対策がどうのという会話が漏れ聞こえてくるので、都 市の政治経済にある程度力をもった人たちなのかもしれない。
  俺はといえば、所在投げに部屋の隅につっ立っているだけだ。飲み 物の注文や食べ物の取り分け、空いたグラスの片付けなどをするの が仕事だったが、手慣れた様子の美青年やドレス姿のコンパニオン が何人もいてかゆいところに手が届くような気の配り方をしているの で、出る幕がない。壁の花というか、置物状態だった。
 あとは後片付けだけでパーティの間は裏で適当にしていればいいと 思っていたが、考えが甘かった。白シャツに蝶ネクタイ、銀灰色のベ ストと黒のパンツといったお仕着せを渡され、侍るように命じられた のだ。
 デイトンの指示らしかったが、よくある気まぐれなのか、執事も慣れ たもので、
「きみは立ってるだけでいいから」
 はっきり言われたくらいだ。
 まあ、自分でも、手際よく、優雅に給仕ができるなどと言うつもりは ないけれど。
 人手が足りないという話だったが、あれは口実にすぎず、たんにデ イトンが俺の顔を見るために呼んだにすぎないのだと、いまさらなが ら気がついた。
(だったら、お役御免で先に帰らせてくれてもいいのにな……)
(まあ、時給がつくからいいけど)
 暇にあかせて、埒もないことをあれこれ考える。
(そういや、あれから警察に行ってないな。荷物は見つからないだろ うと言ってたけど、スノードロップと連絡がとれたかどうか聞かないと)
 マリーンにお金を送ってもらえば、もう皿洗いもボーイの真似事もす る必要がない。
(そして、この都市を出て、スノードロップへ行くのか……)
(どんなとこだろう)
(まあ、人間が集まるところなんて、似たようなもんだろう。あんまりと んでもない環境でなけりゃ、いいや)
(ここも長くないかもしれないから、暇なときあちこち見物に行こうか な)
 白い尖塔を思わせる市庁舎と、天使の舞う姿が頭に浮かんだ。
(あそこ、一般人も上れるのかな)
 だったら、上ってみたい。天使の姿を間近に見たい。
 どんな顔をしているのだろう。想像してみる。が、浮かんだのは、白 に近い金髪、ミラーグラスをかけた男の姿だった。
(冗談じゃないや。あんなやつ!)
 頭をぶんぶんふってその面影を振り払う。
  目の前に、空のグラスが差し出された。
 はっとして顔をあげると、灰色の髪の男が俺の顔を覗き込んでい た。黒い山形の眉毛を片方だけ器用にあげる。
「これを頼んでいいのかな」
「は、はい」
 俺はしゃっちょこばって答えると、慌てて銀のトレイでグラスを受け た。
「まだ、あまり慣れていないようだね」
 まっすぐ顔を覗き込んでくる。
「はい。臨時雇いの新人ですので」
 言ってから、別にそこまで言う必要はなかったと、後悔した。
「そう。しっかりやりたまえ」
「はい」
 男はふっと唇の端で笑うと、背を向けた。
 俺はふーっと息を吐き出した。
 男は部屋の中程で数人の男女の相手をしているデイトンの側へ行 くと、何やら話しをはじめた。

 グラスを厨房へ運び、部屋へ戻ろうとしたところ、ホールの階段を あがる男の後ろ姿が目にとまった。
「!」
 心臓がどきんと波うった。
 そのすらりと引き締まった体躯が一瞬、見知った男のそれに重なっ たからだ。
「マクシム……?」
 まさか……。あの男がこんなところにいるはずがない。
 第一、男の髪はゆるく波うつ長めの黒髪で、それを首の後ろで結ん でいる。
 しかし、別人だと思うそばから、目が釘付けになってしまう。
 男は踊り場を横切り、さらに階段をあがってゆく。ちらりと垣間見え た顔は黒いスクリーングラスと顎を覆う髭に隠されていた。
(やっぱり……違う…よな)
 ほうっと息を吐き出す。
 パーティの客だろうか。それとも付き添ってきた秘書か運転手か… …。ホールの横の控室で待機しているはずだが、トイレか、なにか用 事を言いつけられたのかもしれない。
(それとも……変装してもぐり込んだとか)
 その発想が俺をとらえた。なにかを企んでいるのかもしれない。俺 を 『クォーター・ムーン』に行かせたのもマクシムだ。
(あの男の正体を掴むチャンスかもしれない)
 そう思うとどきどきしてきた。
 そっと周囲を窺う。ホールの横の広間の扉から、パーティを楽しむ 人々のざわめきが聞こえてくる。
 ひとりのボーイが空のグラスをいくつか盆に載せて、出てくる。途中 俺に気づいたが、「さぼるな」とも「はやく持ち場に戻れ」とも言わず、 ちらりと見ただけで、厨房へ入っていった。
「うーん。ほんとうに俺って、期待されてないんだな」
 だったら、べつにいなくてもかまわないだろう──そう勝手な理屈を つけ、心を決めると、見とがめられないうちにと、足音を忍ばせ、いそ いで赤い絨毯張りの階段を駆けあがった。
 が──
 俺は、完璧に迷子になっていた。
「おいおい、ここはどこだ──?」
 思わずぼやきが口をついて出る。
 広い邸内をマクシムかもしれない男の姿を求めさまよったが、その 姿はなく、そうこうするうちに、どうすれば戻れるのかもわからなくなっ てしまったのだ。情けない。
「三階だってことだけはたしかだよな…」
 よけいな所をうろうろするなと言われたし、実際デイトンの私室へ執 事に連れられていったほかは、厨房や控室、玄関ホールやパーティ 会場の大広間付近を動いていただけだ。
「なんで、こんな複雑なつくりになってるんだよ」
 自分の方向音痴を棚に上げ、ぶつくさと文句を言う。
 廊下を歩いていると、見覚えのある扉が見えた。昼間訪れたデイト ンの私室だとわかった。
 その扉が開く気配がした。
(ヤバイ)
 手近の扉を開けて咄嗟に身を隠す。反射的な行動だった。こんなと ころをうろついているのを見つかったら咎められるに違いない。
  扉を薄く開いて見守っていると、銀のトレイを抱えた執事が通りすぎ てゆくところだった。
 ほっとして室内に目を転じると、部屋の中央に置かれた大きな天蓋 つきのベッドが飛び込んできた。正面はカーテンのひかれた窓で、そ の横の壁にも扉があった。
(そうか。続き部屋になってるんだな)
  反対側の壁の隅はバスルームになっているのだろう。
 あのまま執事の後をつければ、もといた場所にもどれたかもしれな い。今更ながら気づいたがあとの祭りだ。
  軽く天を仰ぐ。
「ま、なんとかなるだろ」
 誰かに見とがめられたらトイレに行こうと思ったと言うつもりだった が、なんだか本当に行きたくなってしまった。
  いけないこととわかっているが、こうなったらついでだ。そう思って部 屋を横切りバスルームに入った途端、室内に何者かが入ってくる気 配がした。「ちょっと失礼。すぐ戻る」
(げっ。やばっ)
  壁の一面に設えられた大きな鏡に、追い詰められた小鼠みたいに 焦りまくる俺の顔が映し出された。バスルームとは思えないほど広々 とした空間の奥には、便器と大理石製のバスタブがおかれているだ けだ。
 咄嗟に気づいて大理石を模した壁に隠された収納スペースの中へ もぐり込んだ。その扉が閉まるのと、誰かが中へはいってくるのと同 時だった。
 タオルや石鹸、トイレットペーパー、掃除用具が入れられた棚の間 で息を殺す。しばらく水を使う音がしたが、それが止み、扉の開閉す る音がした。
 ほうっと息を吐き、戸棚を出る。
 扉をそうっと開けると、隣室へ続く扉がかすかに開いていた。寝室 には誰もいない。
 俺は足音を忍ばせ、廊下へでようとした。
「お上品なパーティだ」
  隣室から話し声がした。
「あんたの好きなパーティは別の機会にな。四選を目指すなら、せい ぜい愛想を振りまいておくことだ」
  デイトンの声だった。
「どうだ。気に入ったか」
「気に入った」
「だろうと思った」
  ふたりで話をしているらしい。さきほど執事がトレイを抱えていたの は、デイトンと客のためになにか食べ物でも運んだのだろう。
「家出少年か」
「いや。スノードロップの母親に会いにいくため旅費が必要らしい」
 ぎょっとして立ち止まる。俺のことを話しているらしい。はからずも立 ち聞きをすることになった決まり悪さと同時に、なぜ俺のことが話題 になってるのかという不審がもたげた。
 こっそりと扉に近づき、薄く開いた隙間から窺うと、デイトンが葉巻 を手に窓辺にたっているのが見えた。バルコニーにつづく観音開き の窓が開いていて、夜の空気に葉巻の煙がゆらめいている。
 ソファに男が一人座っていた。横顔だったが、髪は灰色で大きな鼻 が目立っていた。パーティ会場で声をかけてきた客だ。
「今日はまだ見るだけか。残念だな」
「楽しみは後にとっとくもんだ」
 デイトンが振り向いた。慌てて顔を引っ込め、壁に背を張りつける。
「そういや、この前の子はどうした。流したのか? 上玉だから潰しは しないだろうが」
「ここでの記憶を消して、家へ返した。あんたがつけた傷が癒えるの を待ってね」
「ほう」
「なにしろ、父親は上院議員で母親はゴルダ財閥の出だ」
「のちのち役にたつ、か」
「そう。いろいろとな。感謝されたよ。あの強面で通っている議員が俺 の手をとって頭をさげたんだからな」
「それはそれは──。ぜひ見たかったな」
  忍び笑いが漏れる。
「もう一人いたろう。ミーシャとかいったか。まだ〈市〉にも出さないよう だが」
「あの子はあれで見どころがあると見たからな。仕込んで本雇いにし ようかと思っている」
「珍しいな。よっぽど気に入ったんだな。だから、こちらに回さないの か」
「あんたにはあのルピナスから来た小僧をちゃんと回してやる。今度 は限度なしで好きにしていいからな」
「嬉しいことを言ってくれる」
 喉の奥で下卑た笑い声をたてる。
 低く血が沈むような気がした。なにか、聞いてはいけないことを聞い てしまったのだと本能が警鐘を慣らす。
 父親が上院議員というのはミーシャが話していたアルという少年の ことだろう。デイトンが説得して家に帰ったという話だったが、記憶を 消したとか、おだやかでない。
「ところで、今度の新しいゴミ処理場建設工事の入札だなんだがね。 ぜひ任せてもらいたいと言っている者がいるんだが……来年選挙だ し、あんたもいろいろと入り用だろう……」
 話が微妙になったせいか、声のトーンが落ちる。
 どうみても後ろ暗い会話だった。ここから早く立ち去ったほうがいい と判断し出口に向かおうとしたが、壁に沿って置かれていた猫足の サイドボードの角に爪先をぶつけてしまった。
「…テェ──」
 顔をしかめ、ハッと気づいてあわてて口をおさえる。
「だれだ!?」
(しまったっ)
  急いで逃げようとしたが、背後で大きく扉が開いた。
「止まれ。撃つぞ」
 ぎょっとして立ち止まる。
「両手を挙げてこちらを向くんだ。ゆっくりとな」
 言われたとおりにする。
 振り向くと、デイトンが手にしたステッキの先をこちらに向けている。 その姿は見ようによってはかなり間抜けだ。
「はったりだと思うと、痛い目に会うぞ」
 言いおわらないうちに、オレンジ色の光線がステッキの先から放射 された。ビクッと身を竦ませる。焦げ臭い匂いがして、足元の絨毯に 小さな黒い染みができた。
 肝が縮まり、冷や汗が流れた。これは、かなりやばいかもしれな い。
「いつからそこにいた。話を聞いていたんだな。誰に頼まれた」
 ステッキで顎を上げさせる。
「言え」
「ト、トイレを探してただけです」
 男は目を眇め、ねめつけてくる。
「ほ、ほんとです。何も聞いてません。嘘じゃありません!」
 心臓があぶったように動悸を打つ。
「し、信じてください」
 泣きそうだった。
「私に任せてくれないか」
 デイトンの後ろから灰色の髪の男が声をかける。
「少し早いが、私にくれないか。好きにしていいんだろう」
 デイトンの肩に手を置く。
「わかった。任せる」
  ステッキが喉からはずされる。
「嬉しいよ」
  男は頬を緩め笑みを作った。が、その瞳は黒い空洞のように冷や かだった。
 本能的な嫌悪と恐怖を覚え、咄嗟に身を翻し逃げようとした。刹 那、後頭部に衝撃を受け、目の前が暗くなった。



  

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