天使の住む都市 6


     6

 白い市庁舎ビルの周りを天使たちが優雅に飛んでいる。俺は公園 に立って、ひとりでそれを見上げていた。
 ──ね、言ったとおりでしょう。
 振り向くと隣にマリーンが立っていた。
 ──マリーン。戻ってきたんだ。
 俺はほっとした声をだして、マリーンに向き直った。
 ──ラファエル・シティは天使の住む都市なの。だから、あなたもこ こで暮らせるわね。私も幸せになるから、あなたも幸せになりなさい。
 そういいながら、マリーンは背を向け、去っていく。
 ──おい。待てよ。どこへいくんだよ。
 叫んだつもりだが、声がでなかった。
 追いかけようとする俺の手を、何者かが捕らえた。見ると、天使た ちが俺の左右の手を掴んでいる。
 ──なんだよ。放せよっ!
 美しいが無表情な天使たちは、俺の手足を持って、空に舞い上が る。
 ──やめろっ。やめろよっ──!
 激しく身をもがくが、天使たちの手は枷のように食い込んでいる。見 下ろすと遙か下に市街の様子が見えた。
  激しい恐怖が俺を捕らえた。
  ──ちくしょう。おろせ、おろせよ──っ。
  喉の奥から声を振り絞り叫んだ。


 ハッと目を開けると、白い天井が見えた。
 空を飛んでもいなければ、天使たちもいない。もちろんマリーンも。
「なんだ、夢か……」
 ほっとして身体を起こしかけ、手首に拘束されるような痛みを覚え た。
「ん?」
 俺はベッドの上でばんざいするような恰好で寝ていたが、見ると左 右の手首に縄がかけられているではないか。
「な、なんだぁ?」
 起き上がろうとしたが、腕と両足を引っ張られ、マットに体を沈ませ る。
  手首と足首を縛められベッドに大の字に括り付けられているのだ。
「じょ、冗談じゃねーぞ」
  じたばたともがいていると、
「気がついたかね」
 足元で声がした。はっとして頭を上げると、デイトンの部屋で見た灰 色の髪の男が立っていた。上着を脱ぎ、シャツの胸をはだけている。
「ここ、どこ?」
「屋敷の三階にある部屋だ」
 すると、デイトンの別荘からどこか余所へ移されたわけではないら しい。それほど時間もたっていないのかもしれない。
「あんた……誰?」
「いかんなぁ、自分の住んでる都市の市長の顔も知らないのか」
「市長!?」
 俺が驚き見つめる先で、男はカフスを外すと袖をまくりはじめた。ま るでこれから一仕事するとでもいうように。
「そういう子は、おしおきをしなくてはならないね」
「そんなこといわれても、俺、先週ここへ来たばかりなんだから…… 知らなくてもしょうがないと思うけど……」
 ひきつりながらも反論するのを無視して、男が椅子の上から何か取 り上げた。黒い乗馬用の鞭だった。それを両手で持ってしならせる。
 よく見ると、白い壁には、ムチだの鎖につないだ枷だの恐ろしげな 道具が所狭しと鉤にかけられているではないか。窓はなく、足元の壁 はなぜか一面の鏡になっている。
(なんじゃこりゃーっ!?)
 俺は心の中で叫んでいだ。
「あのー、なにをしようって…いうんですか?」
 口を割らせるための、ゴーモンてやつ?
「ほ、ほんとに俺、なんにも聞いてないから──」
  男は黙ってベッドの頭のほうへ歩いてくると、ゆるぎない視線で俺の 顔を見下ろした。
「オ、オーナーは?」
 気詰まりと恐れから何か喋っていないと不安だった。
「客を送りだしているところだろう」
 そっけなくいって、男は鞭の先端で俺の頬をなぞると、蝶ネクタイに 引っかけ、一気に引き抜いた。
 瞬間、首の周りが擦れる感覚がして、胸元が緩んだ。
 冷たい指先がボタンをはずし、ペンダントの鎖に触れ、喉元を這い 回る。
「さ、触るな! やめろ」
「なぜだ」
「ンなもん、嫌だからに決まってるじゃねーかっ」
「私は嫌じゃない」
 真顔で返す。
「あ、あんた、本当に市長?」
「だったら、なんだと思うんだね」
「……ヘンタイ」
「ふむ」
 男は片方の眉をつり上げた。
「指導者というのは孤独なものなんだよ。決断を下し、その結果に責 任をかぶらなければならない。その精神的な圧力というのは甚大だ。 はたで無責任に文句をたれる連中には到底わからんだろう。だか ら、リラックスして均衡を保つために、きみが必要なんだよ。嫌とは言 わないだろうね。名誉なことなんだよ」
「ただの変態を正当化するのに手前勝手な理屈をこねるんじゃね ー!」
 身をもがいた。手首が擦れて痛い──。
「威勢がいいな。ますます気に入った」
「畜生。こういうことをしょっちゅうやってんだな。アルって子もおまえ の餌食になったんだな」
「やっぱり、聞いていたんだな」
  男はにっと笑った。しまった、と思ったが遅かった。
「いろいろ知りたいんだろう? 教えてあげるよ」
「いい! べつに知りたくない!」
 知ってしまえば、待っているのは口封じだけだ。
「まあ、そう遠慮するんじゃない」
  そういうと、一気にシャツを引きやぶる。ボタンがはじけ飛び、胸と 腹が剥き出しになった。俺はひっと息を飲んだ。
「デイトンはね、私にこういう楽しみをくれるんだ。そして私も見返りを 与える。彼の裏の事業にたいする目溢しや、仲間の事業者の利益に なるようなことをしてやるんだ。ギブ・アンド・テイクというやつだ」
  竦んだようになった俺の顎を捕らえ、顔を覗き込む。
「やつが集めた少年たちがその後どうなるか知ってるか?」
「……アルは、家に帰ったんだろう?」
 声がかすれていた。恐怖で動悸が早まる。
「そう。彼はね、運がよかった。利用価値があったからね。それ以外 はほとんど、流されるか、そのまま潰される──つまり売られるか、 殺されるってわけだ」
 こういうプレイの果てに──言外の言葉を感じ取り、俺は絶望的に なった。
 市長がデイトンと自分の結びつき、そして悪事を口にするのは、秘 密を知った以上、逃げ道はないのだという恐怖を与え、いたぶるた めだった。アルにしたみたいに記憶を消すなどというまどろっこしいこ とはしないだろう。この男に弄ばれて、そのまま殺されるか、そうでな くても売りとばされるか、だ。
「いやー、そそられるね。怯えた顔がぞくぞくするよ」
 嬉しそうに手のひらで腹をなでまわす。おぞけが走った。
「きれいな肌だ。化粧をしてあげよう。きっと血の色が似合う」
「畜生ーっ。やめろ──っ。ヘンタイ!」
 市長が鞭を振り上げる。俺は固く目を瞑った。
 そのとき、
「それくらいにしておくんだな」
 部屋の隅から声がかけられた。
 ハッと目を開け見やると、少し開いたドアを背景に、男がひとり立っ ていた。黒髪に黒いスクリーングラス、髭を蓄え口許──ホールで見 かけたあの男だった。
「なんだ、きさま。何者だ。どうやって入った。鍵がかけてあったろう」
 これからというところを邪魔された不機嫌さと驚愕をあらわに市長 が声を張り上げる。
「特技が多いもんでね」
 男が扉を閉めると、カチッと音がして鍵がかかった。
「きさま、なにが目的だ」
「息子を保護してほしいと母親に頼まれたんでね。市長さん」
 男が近づいてくる。
「趣味を持つのはいいが、無理強いはよくないな。ましてや相手は未 成年者だ」
「脅迫するつもりか」
 言いながらも、市長は扉に目をちらっと向けた。異変を察して誰か がかけつけてくるのを待っているのかもしれない。
「モニターは切ってあるんじゃないのか。いつもそうさせていたんだろ  う? それでもいろいろと興味深いものが見つかったがな」
 男はポケットからMDを何枚か取り出した。その一枚のラベルを読 み上げる。
「D・ゴールドマン/01・21リョウ・カワイ、03・15ギリアム・ウー。0 4・27アル・オーエン──」
 市長は唸った。ゴールドマンというのが名前らしい。
「くそっ。デイトンのやつ、そんなものを」
 顔をしかめ、いまいましげに吐き捨てる。
 たぶん、デイトンはこの部屋をいろいろな人間に使わせて、それを こっそりと録画させていたのだろう。趣味か、いざというときの保険─ ─脅迫のタネにするために。市長もそれは承知だったが、自分のも のまであるとは思ってもみなかったらしい。
「目的はなんだ」
「言ったろう。子供の保護だ」
「くそっ」
  男の取り澄ました態度に腹を据えかねたのか、このままでは自分 は破滅だと腹を括ったのか、市長は鞭を振り上げた。
 男はすばやく身をかわし、避けると、足払いをかける。市長はぶざ まに床に転がった。
「みっともないな。人間引き際が肝心という言葉を知らないのか。権 力に固執する人間は自分がいなくては組織がなりたたないと思いが ちだが、それは大きな間違いだな。あんたがいようといまいと、この 都市はりっぱになりたっていくんだ。誰が市長だろうが、たいしてかわ りはないさ」
 からかうような、厭味な口調だった。この物言い、どこか聞き覚えが ある。
(まさか……)
 疑いが期待に変わる。
「きさま、誰に頼まれた。私を陥れるつもりか──」
  一方、挑発に乗ってますます激昂したのか、市長は乗馬用の鞭を 捨て、壁から新たな獲物を取り上げた。今度は、動物の調教に使う ような長い革のムチだった。
 このオヤジ、よほどムチが好きな質らしい。
 市長がムチを振るうたびに、部屋のなかに鋭く乾いた音が響いた。 俺はベッドの上で身を強張らせ、見守るしかなかった。
「あぶない!」
 男の顔面をムチが襲い、スクリーングラスがはじけとんだ。眉間に 血が滲んでいる。
 初めての手応えに満足したのか、市長は肩を上下させ、にやっと 笑った。
 眉間に手をあて、男がゆっくりと面をあげる。整った眉の下から、紫 水晶のような双眸が現れた。
「マクシム!」
 ちらっと俺を見やると、口許を緩め、男は髭をはがし、鬘をとった。 プラチナブロンドの髪が現れる。神々しいような美貌の男が立ってい た。
(やっぱり、マクシムだったんだ……)
 唖然とするより先に胸が高鳴った。疑問や驚きよりも嬉しさが勝っ ていた。
(マクシムが助けにきてくれたんだ)
 それだけで、幸福感に包まれた。
「ううううううう──っ!」
 市長が歯を剥き出し、うなった。ムチを持った手が震えている。なに か様子がおかしい。黒い瞳が憑かれたように光を放ち、ひどく興奮し ているみたいだ。
(なんだろ、知り合いだったのかな?)
 そんなことを考えていると、市長のムチがうなった。
 その攻撃は以前にも増して激しさを増し、同時に支離滅裂だった。 まるで性的興奮を覚えているかのように、鼻孔が大きく膨らみ、頬が 紅潮している。
 はらはらと俺が見守る中、マクシムは身をかわし、椅子を滑らせ た。それが市長の足をすくう。床に手をついたころを、蹴りあげる。市 長はどう、と横様に倒れ、ムチが手を離れた。
「うおぉぉぉ──っ」
 雄叫びをあげ跳ね起きると、市長は素手でマクシムに挑みかかっ た。無骨な両手が白い喉にかかる──が、その鼻先にマクシムの手 が突きつけられていた。手のひらには小さな小さなスプレーが納まっ ている。
 マクシムはハンカチで自分の鼻と口を覆うと、スプレーを押した。
 無色の霧が噴射され、市長の体はそのまま床に崩れ落ちた。
 醒めた表情でそれを見下ろすと、マクシムは乱れた髪を整え、ポケ ットからミラーグラスを取り出し、かけた。
 複数の足音が廊下を慌ただしく近づいてくる。
 ──ゴールドマン!
 扉を叩き開けようとするが鍵にはばまれる。
 舌打ちと、銃で鍵を撃ち抜く気配がした。と同時に、小さく乾いた破 裂音がする。
 ──しまったっ。離れろ……。
 ──催眠ガスだ……。
  狼狽し咳き込むような声がして、人が床に倒れる音がした。
 マクシムは外の騒ぎを尻目に、拷問道具のひとつらしいナイフを取 り上げ、俺の縛めを解いてくれる。
「どうなったの」
 扉に目をやり、尋ねる。
「ちょっとした仕掛けをしておいたんだ。もうそろそろ警察が踏み込ん でくるころだな」
 俺はベッドに腰掛け、手首をこすった。くっきりと縄の後がついてい る。
「どうして、あんたが──。母親に頼まれたって、ほんと?」
「そうしておかないと、後々不法侵入だなんだとうるさいからな。船に 連絡をつけて、一応契約を交わしておいた。料金は通信費程度だ。 良心的だろう」
「え、だってスリープにはいってるから、連絡とれないって……」
「できたばかりの恋人とふたりでいるんだ。眠ってすごすような者はい ない。
 スリープにはいっていたとしても緊急の場合はちゃんと起こしてくれ る。でないとなにかと不都合だろう」
「…………」
 力が抜け、思わず足元から崩れそうになった。マクシムの言葉を真 に受けた俺が馬鹿だった。
「あんた……何者? 警察の人、じゃないよね……」
 契約を交わしたといっていた。捜索願いでも保護願いでもなく。
「そうだな。通りすがりの正義の味方でもない」
 そんなこと最初から思っちゃいない。
「だったら、なんだよ」
「探偵だ」
「探偵? 誰か行方不明になった少年を探しているとか……家出少 年の捜索かなんか?」
「政治絡みとでも言っておこう」
「政治絡み?」
 それ以上答えず、マクシムは俺の首筋に手を伸ばした。
 ペンダントをはずすと、戸惑う俺の目の前で手のひらに落とし、握り しめる。
「お守り、役に立ったろう?」

 サイレンの音が聞こえてきた。



   

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