天使の住む都市 7


     7

 教会の宿泊施設を出ると、門の脇に銀色のコンバーチブルが停ま っていた。
 運転席に見覚えのあるプラチナブロンドの頭が収まっている。
「乗れ。宙港まで送ってやる」
 ミラーグラスに俺のむっとした顔が映っていた。
「なんだ。五日ぶりに会ったというのにつれないな」
「あんた……俺をエサにしたんだろう」
 俺はマクシムを睨みつけた。
 デイトンや市長が逮捕されて五日がたつ。さまざまな悪事が明るみ に出て、俺も事情聴取を受けた。
 マスコミにも登場しないし、マクシムがこの一件でどういう位置づけ にいるのかわからないが、市長たちの逮捕のきっかけを作ったのは 明らかにマクシムだった。
 そう、"作った"のだ。
『政治絡みだ』
 探偵の守秘義務からかはっきり言わなかったが、その後の展開や 警官の話から推測すると、市長の政敵からスキャンダルをあばくよう 依頼を受けたらしい。やり手で切れ者と評判の市長は、これまでも黒 い噂が囁かれながらも尻尾をつかませることなく、ますます地盤を強 固なものとしてきたのだ。このまま四選という可能性もある。業をに やした者がいたとしても不思議でない。
 そこでマクシムは、デイトンとのつながりとプライベートライフを白日 の下に晒すのがよかろうと判断したらしい。それもセンセーショナル に。
  現在「クォーター・ムーン・スキャンダル」の話題でシティのメディア は持ちきりだ。そのなかで繰り返し流れたのが、すけべったらしく少 年(俺のことだ)に迫る市長の顔と声だった。マクシムがくれたペンダ ントには発信機とマイクロ収録機が仕掛けられていたのだ。デイトン たちの悪巧みもばっちり収録されている。贈収賄に不正入札、人身 売買、未成年者にたいする性行為の強要──どれをとっても立派な 犯罪である。市長の政治生命は終わりだ。
「俺を、エサにしたんだ」
 いたいけな青少年を騙して、人食い鮫の巣窟に送り込んだのだ。 発信機とレコーダーつきで。
 あのパーティの夜、ちらりと姿を見せて俺を誘い、まんまとデイトン と市長のもとへ導いたのではないかとさえ疑っていた。デイトンたち は『今日はまだ見るだけ』と言っていたのだ。
 もちろんそううまくいくとは限らないから、あれは偶然だろう。が──
「長期戦を覚悟していたんだが、意外とはやくけりがついたんで助か った。おまえのおかげだな」
 マクシムは涼しい顔で言ってのける。
「鬼、悪魔!」
「ちゃんと助けたんだからいいじゃないか」
「そういう問題かよっ」
 変態市長にいたぶられ、死の恐怖を味わったのだ。それもこれも 全部この男のせいなのだ。なのに、助けにきてくれたのだと思い感激 した自分が馬鹿みたいだ。
「言ったろう。俺は正義の味方などではないと」
 しれっと答える。
「さ、遅れるぞ。はやく乗れ。お袋さんが待ってるんだろ」


 コンバーチブルは街路樹の並ぶ通りを滑るように走る。自動運転 にしているので、軽くハンドルに手を置いたまま、マクシムは片手を あげ親指で背後を示した。
「後ろに荷物がある」
  振り向くとリアシートに見覚えのあるボストンバッグが置いてあっ た。
「あ、これ……見つけてくれたんだ? よく見つかったね。絶対でてこ ないだろうって警察で言われたのに」
「普通はそうだろうな」
 含みのある言い方だった。
「?」
 かすかに眉をひそめ、やがて俺はあることに思い当たった。
「まさか、あんたが盗ませたのか!?」
 俺を路頭に迷わせ、手の内にいれるために。
  マクシムは否定も肯定もしなかった。それがひとつの答えだった。
「てめーっ。鬼! 悪魔!! ひとでなしっ」
 マクシムは形のいい唇を笑みに歪めただけだった。
「そう怒るな」
 といっても無理だ。しかしその端正な横顔を見ているうちに、なにか 心の奥が切ないような悲しいような気がしてきて、俺は不機嫌に黙り 込むとシートに背を預けた。
 こんな惑星は今日でおさらばだ。
 未練が残るほどこの都市のことは知らないし、いい思い出もない。 マリーンに見捨てられ、マクシムに騙され、あやうく変態の餌食にな るところだったのだ。憤りと、心細く、頼りなげな気持ちが蘇ってくるだ けだ。
 だけど──
 これでお別れなのだ。そう思うと例の不可思議な感情が胸を満たし た。
(俺……やっぱり、こいつが好きなのかな)
 視線を動かし、何ものをもはねつけてしまうような、完璧な美貌を盗 み見る。
(こんな……意地悪で、人を騙して恥じない、悪魔のような男なのに)
  所在投げに視線をさまよわせる。街並みの上に突出するように白 い高層ビルが垣間見えた。
「止めて」
「どうした?」
「いいから止めて!」
 マクシムは手動に切替え路肩に寄ると、コンバーチブルを止めた。 コンソールの時計を見ると、ちょうど十二時だった。
「天使たちか」
 市庁舎の周囲を天使たちが優雅に乱舞している。やがて巻物のよ うにスクリーンを拡げると、そこに文字が浮かび上がった。

  住めば都

(住めば都……)
 それを見た途端、俺は心を決めた。
「俺、スノードロップへは行かない」
「なにを言いだすんだ」
 マクシムが眉をひそめる。
「マリーンは俺を二度捨てたんだ。二度あることは三度あるっていう し、いまさら親なんていらない」
「ルピナスへ戻るのか」
「ここで暮らす」
 あんたの側にいたいから、という言葉をかろうじて飲み込む。
  マクシムはミラーグラス越しに俺を見ていた。相変わらずの冷たい 無表情だが、かすかな困惑と苛立ちが現れているような気がした。
「だって……『住めば都』。これが俺にぴったりな言葉なんだろ。その 通りだと思うよ。嫌な目にもあったけど、そんなの、どこだって同じだ よ。どこに行ったって、いい人もいれば悪い人だっているんだから」
 見た人のサイコ・ウェーヴに反応する天使の言葉。
  住めば都──きっとその通りだ。
「あんな話を、真に受けたのか」
  マクシムは呆れたように言った。
「え? 違うの」
「当たり前だろう。宗教団体でもあるまいし。行政がそんな個人の精 神に介入するようなことをするか。あれはたんなる標語だ。たいして 意味のない当たり前のご託も、大層に披瀝すれば、ありがたいだろう というだけのことだ」
 きょとんとする俺を見て、マクシムはだからだまされるんだとでも言 いたげに片方の口角をあげた。
「もっと世間知がつくまで親の庇護を受けておくんだな。どうせいつか は嫌でもひとりでやっていかなくてはならないんだから」
「…………」
 黙り込んだ俺の横でマクシムはイグニションに手を伸ばそうとする。 咄嗟に俺は両手でその腕を掴んだ。
「いやだ! ここに残る」
「いい加減にしろ」
 うるさそうに手を振り払う。
「いやだ。だって俺、あんたのことが好きなんだっ」
 ついに言ってしまった。かーっと頬に血が上り、心臓が激しく動悸を 打った。
 マクシムは急に黙り込むと、前を向いた。
 気まずい沈黙が落ちた。俺はさらに言い募ろうとしたが、
「じきに醒める」
 冷たい言葉が耳を打った。俺は顔をあげ、キッとマクシムを睨みつ けた。
「なんでそんなことが言えるんだよっ」
「間違いだからだ」
「間違いって……俺が男であんたも男だからかよ。けど俺、こんな気 持ちになったの初めてなんだからなっ」
「そうじゃない。俺はシャローム人の血を引いているんだ」
  それがどうしたっていうんだと言おうとして、俺はハッとした。
(シャローム……シャロームの魔眼!)
  学校の先生が『大宇宙史』の授業中、雑談でしてくれたなかに、たし かシャロームについての話があった。
  地球系ではない銀河の異星種。シャローム人は滅多に母星の外へ は出てこないのでその実態は謎に包まれているが、ただその瞳が他 種族に及ぼす作用は絶大で、見た者を虜にし魅了する魔眼の持ち 主──そう聞いた覚えがある。
  唖然と見返す俺に、マクシムはうなずいた。
「まさか──。じゃあ……だから、グラスを……」
「そういうことだ」
  初めて会ったとき、たしかに超のつく美形だが、嫌な奴というのが 第一印象だった。しかしその瞳を見た途端、まさしく俺は「一目惚れ」 状態に陥った。あれはすべて魔眼のせいだったのか……。
(そんな──)
(けど……、そうなのか…?)
  俺はハンバーガーショップでマクシムに冷たくされ泣いていた女性 のことを思い出した。

 ──彼女は俺が好きなわけじゃない。錯覚しているだけだ。

 そして、街角で会ったとき言った言葉。

  ──親切を親切として受け取り、余計な期待は抱かない。そういう 関係が一番だ。

 それから、市長がマクシムの目を見てから、異様な興奮とともにム チでビシバシ追いつめていた様子が浮かんだ。
「あの男はサディストだからな」
「だから……あれが、愛情表現?」
 マクシムは肩をすくめた。
「わかったろう。お袋さんの所へ行くんだ」
「……あんた、もしかして、自分に惚れたと思いこんでる相手に、わざ と冷たくあたるようにしてるのか?」
 はやく目を覚まさせるために。
 俺は考えた。見た者すべてが自分を好きになる力を持っているな んて、どういう気がするのだろう。嬉しいだろうか。煩わしいだろうか。
 勝手に一目惚れされて、つきまとわれる。それが一人二人ならいい が、何十何百人と続いたら、どうだろう? 鬱陶しいに違いない。
 それに。誰かを本気で好きになって相思相愛になったとしても、相 手が自分を好きなのが魔眼のせいなのか、それとも本当に自分自 身を好きになってくれたのか、判断がつかなくて、心の奥で苛立たし さや不安を覚えるかもしれない。
(あ、でも同種族同士なら関係ないんだよな)
 だけど。ここはシャロームではない。周りにいるのはすべて異星種 だ。そのため、グラスをかけているのだ。
  だったら──。もしかすると。
 マクシムのこの傲岸不遜な態度は一種の牽制、自己防衛なのでは ないか。
 同情とも期待ともつかない想いで、俺は運転席に座る美貌の男を 上目遣いに見あげた。
「俺がそんな"親切"な男に見えるのか」
  俺の考えなどお見通しだとでもいうように、マクシムは口許を皮肉 げに歪めた。
「子供の感傷だな」
  からかうように言って、マクシムは再びイグニションに手を伸ばし た。俺は何も言えなくて、黙ってシートに背中を預けた。
  天使たちはすでに空から消えていた。


 宙港につくと、俺は礼を言ってのろくさとコンバーチブルからおり た。マクシムもおりる。
「見送りはいいよ」というと、最初からそのつもりだったのかマクシム は腕を組み、車のボディに寄り掛かるようにして俺を見送った。俺が ポートの玄関を潜るのだけは見届けようというつもりらしい。
 カートロボや搭乗客らしい人達が駐車場やシャトルバスの発着場 から、正面ロビーに吸い込まれてゆく。
 それに沿って歩きながら、広く開いた出入口の手前で立ち止まり、 後ろを振り向いた。マクシムが立ってこちらを見ていた。はやく行けと でもいうように、軽く手をあげる。
 胸の奥がざわざわした。熱いうねりがこみ上げてくる。
「なんで俺が、こんな想いをしなくちゃならないんだ……」
 ただの錯覚にすぎないのに。
 錯覚。そう、錯覚にすぎない。マクシムは男で、性悪で、ひとでなし で、たしかに美形だけど、俺は別に面食いじゃないから好みのタイプ ってわけでもない。単に魔眼のせいで魅了されただけなのだ。
 そう。その通りだ。じきに醒めるとマクシムも言った。
「なのに。なんでこんなに胸が痛いんだよぉ」
 涙が零れそうになった。
  傍らを、出迎えらしい中年の男女に挟まれた若者が通りすぎてい く。
「疲れなかった?」
「大丈夫だよ。子供じゃないんだから」
  たぶん親子なのだろう。母親らしい女性の問いに若者はそっけなく 答える。
「別に迎えになんて来なくてもよかったんだ」
「でも一年ぶりじゃないの。ねえ、あなた。なんとか言ってくださいな」
 父親らしい男が何か答えたが、内容は聞きとれなかった。
 荷物を乗せたカート・ロボを後に従え駐車場へ向かう三人の後ろ姿 を見送りながら、俺は思った。
(マリーンは、俺を迎えに来てくれるだろうか)
 よく来たわね、と本心から言ってくれるのだろうか。
(どうせ、スノードロップへ行ったって、マリーンはいつまでそこにいる かわからないんだ)
 結婚するなら、俺なんかお邪魔虫だし……。
「みんな、自分勝手だ。勝手に俺を振り回しておいて、最後には捨て るんだ」
 俺はマリーンに、マクシムに、死んだ親父にさえ怒りを覚えた。
  拳を握り、唇を噛む。
(もう、誰かの都合で振り回されるなんて嫌だ!)
  錯覚に過ぎないとわかっているけれど。後悔するのかもしれないけ れど。俺は子供で、世間知らずで、騙されやすくて、たぶんどうしよう もない馬鹿だけど。
 今の自分の気持ちを大事にしたいんだ。誰がなんと言おうと。
 今なら、まだ寄り道しても、大丈夫だから。
 そんなふうに思うのは甘ちゃんだからだとマクシムなら言うだろう。
  でも、いい──。
「俺にこんな想いをさせた責任だけはとってもらう」
  心を決めると踵を返した。
 人の波を抜け、まっすぐマクシムの元へ向かう。
 その神々しい姿が間近になるにつれ、俺は胸がときめくのを覚え た。それは魔眼によって喚起された抗いがたい感情であり、また同 時に未熟な自分の決断にたいする高揚であり、畏れでもあった。
「どうした。忘れ物か」
 マクシムは俺が引き返してきたことに顔色一つ変えるでなく、真顔 で尋ねた。
 マクシムに何かを期待するのは間違いで、無理なことだとわかって いた。
「俺は、あんたに何も期待しない。マリーンにも」
  俺が期待するのは自分の未来だけだ。
 だから。
  怪訝な顔で見下ろすマクシムのミラーグラスに俺の顔が映ってい た。初めて出会ったときの頼りなげな、途方に暮れた表情ではない。
  俺は荷物を捨て、伸び上がり腕を伸ばすとマクシムの首に回し、思 い切り引き寄せた。
「!」
  強引に口づけると、腕を放し、困惑とも怒りともつかない表情をして いるマクシムにむかって、晴れやかに言った。
「俺、ここに残るから」



 

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